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8、キッチン・プレイ
柳森は仕事が空くと、トレーニングの時間を早め、食事をつくりに東條の家を訪れるようになっていた。
行く度に、冷蔵庫の中は適切な分の料理が減っていて、その分、新しい料理を補充する。その割に、東條の体型に変化は見られなかったが、柳森は焦らなかった。
筋肉のつき方や脂肪が落ちるスピードは、人それぞれで異なる。トレーニング開始から3週間経っても変化がなかったら、別のメニューに変えようと考えていた。
夕方からのトレーニングが昼からに変更になっても、もう東條が憂鬱になることはなかった。寧ろ、旨い食事を二人で堪能する空間に安らぎを感じ始めていた。
「お先に、シャワー失礼します」
柳森が、バスルームに向かう前に、いつも通り食材をキッチンに運ぶと、レンジの前に男が立っていた。
火にかけた圧力鍋からは、フォンドボーの匂いが水蒸気と一緒に立ち上っている。
キッチンの扉を開けたまま立ち止まっている柳森に、「どうした?」と、東條が声をかけると、レンジの前の男が振り向いた。
「お帰り、隼人」
裸の上半身にエプロンをつけた藤野だった。
「何だよ、急に」
所在無さげに立つ柳森を気にしながら、東條は言った。
「サープラーイズ! たまにはいいだろ、急に来るのも」
「暫く来れないって‥‥。それに、何だよ、そのカッコ。コンロの前に立つなら、ちゃんと服を着ろよ。火傷しても知らないぞ」
「何なら、下も脱ごうか。その方が、そそるならさ」
「ふざけるな。で、何してるんだ」
「ビーフシチューつくってるんだよ。隼人の大好物。だって、冷蔵庫の中、年寄りの食い物みたいのばっかりだからさ。ワインに合うような旨いものを食べさせてやりたいと思ってさ」
思ったままを口にする藤野が、これ以上失言を重ねないよう、東條は互いを紹介した。
「RYO、彼は柳森君。俺のトレーナーで、栄養管理もしてくれてる。柳森君、彼は俺の古くからの知り合いで、ファッションモデルのRYO。君は知らないと思うけど、世界で活躍してて、たまに日本に帰ってくると、ウチに遊びに来るんだ」
「遊びねえ‥‥。まあ、間違ってないか。よろしく、柳森さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
藤野が差し出した右手を、柳森は両手で握り、笑顔を見せた。藤野は握手をしながら、「ふーん」と、意味深な顔で東條を見る。
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