第一章

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決して教科書には載らないかも知れませんが、きっと素晴らしい歌が見つかることをお約束します。 【ポール派宣言・その6】 今から、24年前 ・・・ 1980年。(2004年現在) いろんなことがあった。ポール日本で逮捕。ジョン暗殺。ウイングス解散。 今度こそ、ビートルズの再結成はありえない話になってしまった。 「80年代、ポールの不遇時代」は、ジョンの死が無関係ではない。 非業の最期を遂げたジョンは神格化され、ラスト・アルバムはもちろん「ジョンの魂」や「イマジン」も、再評価されるようになった。 「やはりビートルズはジョンだったんだ」と皆が再認識?するようになり、ジョンは「愛と平和のひと」と呼ばれ、当分ジョン・レノン賛歌はおさまらなかった。 ・・・いや今も続いているのだろう。 ポールは複雑な気持ちだったに違いない。 ビートルズ解散後、四面楚歌の状態から這い上がり、ついにはひとり勝ちと言えるところまで登りつめていたのだから。 ニュー・アルバムのために、急きょジョージ・マーティンを呼んだのも、その後、吹っ切れたようにビートルズ・ナンバーを歌いまくり始めたのも偶然ではない。 ジョンが「愛と平和のひと」と言われることも、理解出来なかっただろうが(・・・ジョンのことを一番良く知っているポールだからこそ)、それよりも、「ビートルズはジョンだった」と言われることには、我慢出来なかったのではないだろうか。 おそらく、ニュー・アルバムはもっと実験的なものを考えていたかも知れない。 それをやめて、2年掛け名作「タッグ・オヴ・ウォー」を完成させた。 最初から最後まで、このアルバムには「ビートリィー」な香りが漂っている。 特に、タイトル曲の格調高いアレンジや次の曲へのつなぎの部分、「ワンダーラスト」の気品高いボーカルや、その前後の曲のつなぎかたは、まさにビートルズだ。 「ビートルズは僕だったんだよ」 ポールの無言の言葉が聞こえる。 そして、現在 ・・・ 2004年6月。 ポール・マッカートニーは、何かに取りつかれたかのように、ツアーを行なっている。 あと丸2年もすれば64歳だというのに。 誰が、ポールが本当にその年になって「When I’m Sixty-Four」を歌う姿を想像できただろうか。 でも、それはもうすぐ現実のことになろうとしている。
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