2人が本棚に入れています
本棚に追加
【ポール派宣言・その4】
ポールを語る時、ついついジョンと比べて話してしまう。
ジョンを語る時も、必ずポールを引き合いにしてしまう。
ポールのファンなら、このパターンになりがちなのだが、一般的にはジョン・レノンを語るのに、悔しいけどポールは必要ないらしい。
このまえ本屋さんに行ったら、「ラバーソウル」を背景にして、その当時の文化を語ったような随筆があったので、パラパラと立ち読みをしてしまったが、ジョンやディランの名前は出てきてもポールの名前がいっこうに出てこない。
ほとんど出てこなかった。
ポールの名前が3回でも出ていれば、その本購入していたのに。
要するにこの筆者には、この本で語りたい内容に「ポール・マッカートニー」は必要ないのだ。
もっと言えば、ポールはかえって邪魔なのだ。
確かにポールの歌には、時代背景や政治などほとんど関係がない。
唄っているのは、周りの自然や愛についてだ。
それだけ、永久不変な歌と言うことも出来る。
ポールのほとんどの歌は、100年前でも200年後でも、違和感はまったくないだろう。
一方のジョンは、とことん自分にこだわる。
したがって当然、現在という時代や政治にもこだわっている。
他人のことや作り話など関心がない。
ジョンが偉大なのは、自分をさらけ出したことだ。
それでもビートルズ時代は、多少オブラードに包んでいたが、解散してからは、歌にも行動にも赤裸々に自分をさらけ出した。
これは、なかなか出来ることではない。
皆のまえでヌードになったり、自分のプライベートな恋愛を唄ったりすることは。
しかも、全世界のひとが見ているのである。
ジョンのことは、よくこんな風に言われることがある。
「とても、人間くさいところ が好きだ」と。
でも、これでは言葉が足りないと思う。
ジョンは普通のひとと違っているから、いつまでも語られるのだ。
人間くさい話ばかりを、誰も好んで読んだりはしない。
凡人には出来ないことをやってくれたから、これだけの信者がいるのだ。
そんな「狂気の天才」が、ときおり人間くさいところを見せるから、余計に人々のこころを揺さぶるのだ。
「我らがヒーロー」ジョンのなかに、人間らしい弱さを発見する。
それに皆、共感したり安心したりするのだ。
ポールはいつも誤解される。
最初のコメントを投稿しよう!