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冬の通勤着はたいがいタートルネックとパンツだ。今朝も。身支度を終えコートに袖を通し、トートバッグを肩にひっかけて家を出る。玄関の鍵は閉めたがほかの戸締りは確認しなかった。まあ、ぜんぶ鍵はかかっているだろう。ここのところ窓を開け締めしていない。近所の児童公園まで走って急ぐ。眼鏡に小雨があたって視界が曇る。ざあざあぶりでなくて良かった。コンビニエンスストアの角を曲がると、公園が見える。入口近くに、ルーフトップに行灯を乗せた車が一台停まっているのを見つけて、綾子は安堵の息を漏らした。
間に合った。
あの女に、先を越されずにすんだ。
公園の外縁には桜の木が植わっている。都心は満開だというが、この公園の桜は、八分咲きほどか。
綾子が小走りに近づくと、車の後部ドアが開いた。綾子はシートに滑り込みながら、金町まで、と言った。車が走り出す。運転手が言った。
「や、おねえさん、最近見なかったね。どっか行ってたの」
顔を覚えられている。以前は毎日のように使っていたのだから当然か。綾子は窓の外を見ながら「はあ、まあ」と生返事をしながら、Androidを操作した。
メールアプリのアイコンの右上に、未読着信の数が赤くしめされている。六十八件。開いてみたが新着は全部広告だ。
要らないメールは削除しないと、溜めると面倒なんだよな……と思いつつ、すでに六十八件を削除するのが面倒で、綾子はなにもせずアプリを閉じる。運転手が言った。
「この雨で桜も散っちゃうねえ。せっかく綺麗に咲いたのに」
「そうですね」
「桜の木の下には死体が埋まっているっていうけどさ、公園の桜の一本一本の下にいちいち死体が埋まってたら、ちょっと怖いね」
「はあ」
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