こうもり傘と桜

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 綾子は気のない返事をした。梶井基次郎か。人口に膾炙しすぎて陳腐なイメージだ。去年もタクシーの運転手に同じようなことを言われた気がする。もしかしたら、そのまえの年かも。 「まあ、あそこの公園の桜、今年は何本か枯れちゃってるみたいだけどね」  桜、さくら。テレビでもなんでも、いまの時期は桜の話題ばかりだ。どうしてみんなそんなに桜が好きなのか。綾子は面倒に思いつつ、「そうなんですか」、と相槌をうつ。 「蕾がなかった木があったでしょう。根っこにカビだか回ったんじゃないかって話でさ。なん株かやられてるよ。最近はまた景気が悪い話が多いね、桜も、世間も」  いっときは俺らの商売も良かったんだけど。運転手は大げさに溜息をついた。 「ここ何か月か、あそこで八時過ぎて待ってても、空振りがずっとで。そろそろ俺も、河岸を変えようかと思ってたんだ」  綾子は眉を寄せた。朝、あの場所で車が拾えなくなるのは困る。  自宅のあたりは最寄駅からバスで十分以上かかる。バスを逃すとタクシーが頼りだ。それをあてこんで、児童公園の入口前には、朝の通勤時間帯になると、数台のタクシーが客待ちをしている。  ただし、八時が近づくとタクシーの大半は出払ってしまい、残りは一、二台になる。運が悪いと車にありつけない。配車センターに電話をして、なかなか来ない迎車をじりじり待った挙句、遅刻の憂き目をみることもある。     
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