第1章

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心残り             海音寺ジョー  長く埋まらなかった「6丁目」に遂に入居が決まったらしい。  サマリーを読むと要介護2の軽度の認知症らしい。98歳。女性。氏名、鈴木小夜。すずき さよか。かなりの高齢だな。雪がまだ残る2月の終わりの今頃に入居が決まるのも珍しいが、ユニットの全床が埋まる方が我々の収益も上がるし、少しでも処遇改善手当が増えるのなら職員の我々にも喜ばしい事態だ。その入居者の手のかかり具合にもよるけれど。  「ぼくはいまだに慣れないんですよ」とユニットリーダーの森下亘君が言う。  「えっ?居室の表記のこと?」 「うん」 ユニットケアは、ワンユニットを一つの町、村と見なすのが基本のコンセプトだ。だから病院のように居室を1号室、2号室とは呼ばず一丁目、二丁目という呼称を使っている。これはユニットケア体制を敷く施設の統一ルールだ。それを亘君はそらぞらしい、欺瞞的なレトリックだと感じるのだ。  「それを言い出すときりがないけどね」 昔は病院、刑務所みたいに大部屋にベッドを並べて利用者のプライバシーがなかったとのことで、そういうやり方に比べたら随分とましな暮らしを実現できていると思うけれど。  装甲型か、と私は早々に結論づけた。  高齢者の精神タイプはS・ライチャードにより5種に分類されている。円熟型。安楽椅子型。装甲型。憤慨型。自責型。他者からの援助や世話を受けるのを嫌う、過去の実績について強い自信を持ってる装甲型は、周囲に心を許さず内向的なスタンスを保つパターンだ。このような心の仕分けを私は最初受け入れ難かったが、慣れは全ての感情を鈍磨させる。  小夜婆は実際、ほとんどの時間を居室で過ごしていた。軽い片麻痺なので介助せずともベッドに上がれるしトイレにも移乗することができる。失禁もない。私たちケアワーカーにとっては手のかからない、「とてもいい」婆ちゃんだ。しかし施設にはルールがあるので、10時からはリビングでお茶を飲んで過ごしてほしいし、15時にはラジカセで流す音楽に合わせたリハビリ体操をして、またお茶を飲んでほしい。そんなのは個人の自由だというのが建前だが、看護師が介護士に厳命してる水分補給や拘縮予防の軽い体操は、フォーマットとして入所者にやらせなければならないのだ。 「小夜さん、ちょっと出てきませんか。あったかいお茶を淹れましたので、飲みに来ませんか」
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