第1章

5/11
前へ
/11ページ
次へ
 家に帰ると、パソコンにメールが1件届いていた。親からだろう。スマートフォンのメールアドレスは教えてない。結婚の催促か、そんなくだらん仕事を辞めろ、のどちらかの用件だろう。恋人からのメールは、来ていなかった。パソコンの電源を落とし、布団に横たわった。枕元には昨夜読みかけていた句集が開いたまま、背を上にして置きっぱなしだ。高野ムツオの『片翅』震災詠だ。読書は私の唯一の趣味で、ジャンルにこだわらず乱読する。『片翅』は去年の年末、新聞に評やレビューが多く載っていたので、気になって駅前の書店で買ってきたのだ。だから特に俳句が好きってわけじゃない。  あの震災から、もう6年か。それでもこの『片翅』を読めば当時の有様が蘇ってくる。私はその時、東京にいたので被災といえるほどのダメージはなかったのかもしれない。しれでもガソリン供給が止まり、コンビニから食料が消えた。電車は動かなくなった区内で、都心まで必死になって通勤してた。地図を見ながら原付バイクで2時間、走ったこともない道を走り、なじみの大塚駅が坂の上から見えた時は、リンドバーグがパリの灯を見たかのような気持ちだった。    本をだらりと広げたまま朝、目覚めた。俳句いいな。句会をやろう、と思った。レクレーションで。ユニットリーダーの森下君も若いころから俳句をやってると言ってた。高校時代、俳句甲子園という有名な大会にも出たことがあるって自慢してたな。レクで句会、大いに賛同してくれるだろう。  句会というのは、お題を決めて皆で一句ずつ提出して作者名を隠して投票(選、というらしい)、批評(披講)をしながら優劣を競うというゲームだが、そんなまともな会じゃなくていい。私はパソコンで「季語 春」と検索欄に入力し、春の季語一覧を印刷した。5枚刷って、次の日テーブルに皆を集め、配った。 「皆さん、今日は俳句作りをしましょう。季節は春だし、春の季語を入れて詠んでみましょうね。」 と司会を始めた。小夜も誘ったが、いつものように拒み、居室から出てこなかった。小夜ぬきで、レクを進めた。 「典子さん、これ字が小さくて読めんよ」 「あ、ああ。そ、そうですね。じゃあ、私が読み上げようかな。桜。これ、簡単じゃん。やさしいよ。桜で詠んでみましょうよ、カナさん」  確かにポイントが小さすぎた。もし次やるとしたら、36ポイントぐらいで印刷しなきゃな、と反省した。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加