第1章

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 次の週、二回目をした。小夜婆が清拭畳をしているタイミングに合わせて、テーブルを強引に引っ付けて小夜もなし崩し的に参加させた。 「今日は大きい字で印刷してきたし、皆さん、大丈夫です!今回も春の季語で作ってみましょうね」  たどたどしくも、俳句作りのおままごと的な遊びが出来た。小夜も礼の薄ら笑いを浮かべつつ、わら半紙で作ったペラペラの短冊に油性マジックで一句書いてくれた。小夜は全く迷いなくスラスラと書いて、それは 「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」 という句だった。 「小夜さん、コスモスは春じゃないよ。秋の季語なんだよ」と私はまごついて言った。 「あっそう」 と小夜さんは軽く受け流して居室に帰って行った。    遅番勤務の森下君がユニットに入ってきたので、私は喜々として小夜婆がはじめてレクに(無理やりだが)参加したこと、こんな句を詠んだことを報告した。わら半紙を見やった森下君の顔色が変わった。 森下君が小夜の書いた句を利き手でつかみ「これは、知ってる句です」 と低い声で言った。つまりパクリですか?と私は反射的に聴き返す。 「有名な鈴木しづ子の句です」 と森下君は慎重な言い方をした。  鈴木しづ子を私は知らなかったが、森下君の解説によると女性俳人の先駆で、性愛を直接的表現で詠んだ俳句で、情痴俳人と世間から騒ぎ立てられた有名人だそうだ。2冊目の句集刊行後、33歳の時に行方不明になり、今も生死不明なのだという。 「いまだに根強いファンもいます。もし生きていたら、えーと、この携帯電話、電卓機能も付いてるんですよ、計算するとまだ生きていたら98歳っすね」  私はあわてて小夜さんのサマリーをストッカーから出して照会する。奇しくも、というか小夜さんも大正8年生まれで98歳とあった。 私と森下君は年齢欄を凝視して、息をのんだ。まさか、句界の伝説的存在の鈴木しづ子が別人を装ってうちの老健に?それともただの偶然で、赤の他人だろうか。 「いや、しかしあのヨコハマ・メリーさんもですね、行方不明になり、後年老人ホームに入居されてることが判明したって話がありましたよ」  森下君はなんでも知ってるな。でも、それはあり得るのだろうか?
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