第1章

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 帰宅してから、私はインターネットで名前を入れて調べてみた。俳壇やマスコミ、ジャーナリストたちが探しに探して、それでも詳細不明、消息不明の人だ。もし存命していたら新聞テレビ、マスコミ各社がどっと、このしょぼい老健に殺到してくるのだろうか?そんなことを想像して、私は少し興奮した。  小夜の部屋の明かりが消えてて、寝たのか?と確認に行ったら、窓から夕方の景色を眺めていた。窓からは向かいの公園の植え込みが見える。欅と桜の木だ。西日が少し残り、樹間から小夜の顔にぷつぷつと反射している。目がうつろで昔のことでも思いだしてるのかな?と思った。  すべては私の妄想かもしれない。小夜の正体?全部ただの偶然で、たとえば椋鳥の群れが飛ぶときに、群体が文字列のように並ぶこともあるだろう。それが意味を持つ言葉であることも物凄い確率で起こり得ないとは言えない。。俳句の取り合わせではないけれど、鑑賞する側の一人合点だ。レクで作ってリビングに飾ってある風車が、窓からの風でカサカサと音を立てて回った。 「いもせがな…」 その次の週の句会で、右麻痺のタカコ婆が即席で口にした俳句。私はちゃんと書きとってやれなくって、オウム返しで訊き返した。 「いもせって何です?」 「いもせがな、ともに、ともに、みている、かれすすき」 私の質問を無視し、タカコ婆がたどたどしく、最後まで詠んだ。枯れすすきか。冬の季語じゃないかな? 「いもせって、タカコさんどう書くの?そんな言葉あるの?」 私はいぶかしんだ。でも5,7,5だしタカコやるなあ、おしっこも一人で出来ないくせに、と思ってると私の背後から小夜が言った。 「妹の背と書いていもせ。昔の言葉で夫婦のことだよ。『はしきよし妹背並びぬ木彫雛』という句が水原秋櫻子にある」  私も、デシャップで食器を洗ってた森下君もポッカーンと口を開けて小夜を見ていた。この98歳は、認知症でぼけていたのと違ったのか。私はシューオーシって何だ?人名か?と戸惑った。いつもポケーと日がな窓を見てるだけの小夜が、別人のように見えた。 「いもは妹と書いて今どきはおとうといもうとの、妹という意味合いでしか使われないけど、かつては男性が妻や姉妹、恋人などを親しんで呼ぶ語だったんだ」 「そ、そうなんですか」 「女性同士が相手を親しんで呼ぶときもある。万葉集にもよく出てくる名詞だよ」
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