25人が本棚に入れています
本棚に追加
緊迫した空気が支配していた。
「……」
淳美は二人の男の間で、選べないでいた。
愛する男と、自分を護ると誓ってくれた男。
(真治さんに迷惑ばっかり掛けて、今更別れようなんて言えっこない……! )
覚悟を決めた淳美は、口を開きかけた。
「行けよ」
しわがれた声であったが、無表情に野北は言った。
「真治さん……?」
淳美は”夫”の言っている事が呑み込めなかった。
(お前がイタリア語を勉強していたのは、コイツの為か)
この男は、ずっと彼女の心の中に棲んでいたのだ。
「元々、”父親が居ないのなら、俺がお前の胎の子の父親になってやる”て約束だったんだ。本当の父親がお前達を探しまくってて、ようやく迎えに来てくれたんだ。俺がお前の亭主をする必要はなくなっただろ」
乗り気でない淳美を、子供を盾にして結婚を承服させたようなものだった。
(淳美が俺の事を”兄貴”としてしか見てないのを知っていてプロポーズしたんだ)
追々、夫婦としての時間を重ねれば、彼女がいつか自分を見つめてくれるかもしれない……。計画は、この男の出現で砕け散ってしまった。
しかし。
(お前が幸せなら、それでいいんだよ)
”他人の掌中の珠を預かっていただけだ”。
野北は己に言い聞かせた。
「真治さん」
行っていいの、と訊く前に彼女は夕人の前に押し出された。
「早く行けよ」
「ありがとう!」
淳美は万感の思いを込めて、叫んだ。傍らで夕人がぺこりと頭を下げた。
最初のコメントを投稿しよう!