無残な時間とホットミルク

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 最上階のバーで飲んでいた夕人(ゆうじん)は、途中の階から乗ってきた女性が気になっていた。涙で汚れた顔。ちぐはぐなホールにボタンを嵌めてあるブラウス。伝染したストッキング。何が彼女に起こったか、一目瞭然だった。  彼女は、夕人の視線を避けるようにエレベーターの隅っこで縮こまっている。 (どうする) 自問するも、すぐに為すべき事が浮かんだ。母の教えは”女の子には優しくよ”だった。 (わかってるさ、マンマ)  二人を乗せたハコは、彼の宿泊する階に止まった。 ぐい、と彼女の肩を抱いて、無理矢理に下ろす。 「なにを……っ」 大男に包み込まれるように運ばれてしまって、悲鳴を上げる事も出来ない彼女を自室に入れた。 「そんな貌でフロントに行くつもりかい?大丈夫、何もしないよ。落ち着くまで、此処に居なよ」  声を掛けられて、淳美はびくり!と震えた。強張っている彼女をひとまず放置して、彼は作業に専念した。  やがて。 「はい、ホットミルク」 柔らかい匂いと共に、マグカップを手渡された。 (え?何で、ホテルでそんなものが)  見れば、エスプレッソマシーンや電磁コンロやジューサー、はては電子レンジ迄置かれている。彼女の視線に気づいたのか、男は剽軽げに手を広げてみせた。無論、彼女が怖がらないように距離を取っている。 「今日、イタリアから着いたんだけど。僕の旅のお供達さ」 (この国は僕には辛い) 夕人は思う。  彼にとっては父の祖国でありながら、遠い国だ。辛く、重苦しい思い出しかない。昔住んでいた家は、その集大成だ。  その事を、夕人が生きている女性の中で一番好きな彼女も、わかってくれている。来日を知らせば、彼女から宿泊先に遊びに来てくれるのだ。  日本に来る事は滅多にないが、訪れた時には極力『巣』の中に引きこもっているのが常だった。
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