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 ノゾミ・ミゾグチは策士であった。奇策をもって世に出た。、フランス芸術新興協会、第一回ルアーブル賞を獲得し、表彰式で辞退したのである。買い上げが前提とされていた賞に対し、「手放すのが惜しくなった」という発言は説得力に欠けていた。やがてこの若者が大金持ちであることを知ったマスコミが、さまざまを書き立てて、結果、 ……欲しかったのは名誉だけか。  関係者は深追いが悪知恵者を利するだけと悟った。だが、ここからが悪魔の思惑の第二幕であった。帰国した溝口は空港ですでにスターとなっていたのである。「ルアーブルから持ち帰った絵画」は喝采をもって迎えられた。  小手先の細工で注目を集めても作品がつまらなければ、はなしにならない。その絵は魔的なまでの美をたたえていた。タイトルは『琴』。水辺で女が琴を弾いている。水面(みなも)は静かで静かにすぎて、鏡のよう。女は和装で後ろ姿、よって顔はみえない。だが美女に間違いない。それが芸術家の才であった。余計を描いていない。いや、女の着物は豪奢(ごうしゃ)である。三浦屋の揚巻(あげまき)が客に背を向け、たっぷりと衣装を披露するのに似て、緋毛氈(ひもうせん)に座した女は圧倒的な存在感で、これみよがしを演じている。この絵の不思議はこれからである。じっと女の背中(せな)を見るにつれ、どこぞから妙なる調べが響いてくる。比喩ではない。どんな人にも聴こえてくる。その人だけが知る心の奥底の旋律が遙か昔、記憶の彼方から聴こえてくる。オルフェウスの竪琴には猛獣も聴き惚れ、耳なし芳一の琵琶に至っては冥界から平家が聴きに来た。そうした魅惑の旋律がどこからともなく聴こえてくる。  『琴』の公開は上野の森にモナリザ以来の人出をもたらした。これだけの才能があって、なぜに世に出るに奇策を用いたのか。批評家たちは訝(いぶか)った。美術館を囲む十重二十重の人垣がその答えを教えていた。芸術に興味のある者だけではこの人数にならない。溝口の演出した「センセーショナル」の勝利だった。
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