起因

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ーー神様、俺は願ってはならないことを願ってしまいました。  揺れる視界をどこか遠くに感じながら、俺は男でアルファなのに、とか、兄弟なのに、とか考えていた。  非常な事態にも関わらず、俺は意外に冷静だった。  夕刻の茜が差し込む、慣れ親しんだ、だだっ広い実家の自室。秋口の風は閉じられた障子に阻まれて入ってくることはない。  力任せに脱がされた漆黒の学生服のボタンが畳の上に散らばり、シャツも破れてしまった。どれだけ必死だったかがうかがえる部屋の有様を目線だけで眺めていたら唸り声に呼ばれた。 「兄さん」  ゆるりと目線を持ち上げて、こちらに覆いかぶさって好き勝手に揺さぶる男をしかと見つめる。  俺とよく似ている黒髪に筋の通った鼻。切れ長の目は俺よりも少し鋭いだろうか。そのすぐ下の泣きぼくろが色っぽい。おおよそ世間で有利に働くだろう見目をもった、俺の、大切な弟。  最近抜かされた身長と体重はアルファの中でも恵まれている部類に入るらしい。腕は逞しく、俺の両腕を易々と捉えて、骨が軋むほどの力で押さえつけている。 「……兄さん、兄さん……っ」  子供とは思えないほど整いきった美形がみっともなく歪み、声変わりしたばかりの不安定な音を掠れさせながら泣いている。見て呉ればかり立派になった愛おしい愚弟の涙はやはりまだ子供のそれだった。  縋るように唸りながら、それでも俺を抱くことを止めない弟に、抵抗することはできなかった。するつもりもなかった。
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