第1章

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 バタンコが出て行ってからもう二十遍は日が巡っている。だがそれが二十を超えると、ジャムオジはいつも数えるのをやめる。それは、数える術をもたなかったためでもあるし、待つほどに胸のあたり、ジャジャイ蚊に刺されたような痛痒を覚えだすからでもある。喉元あたりまでしみでるようなその嫌な感じは、聖なるオジャマッポの川水に胸浸しても、かまどの灰をなすりつけても、またジャッカルの獣骨を幾度たたきつけたところで、一向消え去ることはない。バタンコを娶ってからしばらくの間、それが無益と気付くまで、ジャムオジは様々な工夫をこらしたものだ。  バタンコは奔放な女である。だがズルンゴ族に奔放でない者があるだろうか?男は女の数を競い、女は男の数を誇る。ジャムオジは皆のように、妻の帰りを気にしなくてもいいようになりたいと思った。自分だって家族を忘れるくらい、多くの女の間を泳ぎ回ってみたかった。  多夫多妻。それは、このズルンゴを支配する社会習慣だった。ズルンゴだけではない。あたりをめぐる他の二部族、すなわちラッキョ族とシンコペ族とても同じこと。なにせ時は、さかのぼること二百万年。孔子やブッダやキリストの出現より、遥か遥か遠くの昔。誕生間もない我らの祖先は、ジゴクガキシュラツミバチフトク、そういったややこしいいましめから完全に自由な暮らしを謳歌していた。もちろん歴史を下れば、社会関係の安定だとか、血の遠近をきらわぬ乱倫により惹起される遺伝学上のあれこれといった実際上の問題が意識され、自然とブレーキが利きはじめるようになるのであるが、それまでにはまだ人類、膨大な経験の蓄積を待たねばならないのであった。  とはいえ多夫多妻も習わしにすぎぬ。そこに義務はなく、純粋な競争原理に支配されるのはこれ恋の道、今も昔も変わりはない。男の場合、一撃でイノブタを仕留める腕力を有せばそれだけ妻らが寄せ集まったし、衆を統べ巧みにマンモス追い込む知力を持てば、乙女たちは列をなして川べりの繁みで順を待った。また女の場合、尻ならでかければでかいほど、丸ければ丸いほど崇敬され、そして胸毛は濃くやわらかなものが珍重された。そこには狩後の緊張をときほぐす、安逸の力が宿るとされたからだ。喰うことと産むこと。もてるためのすべての要件はここに帰結する。ではジャムオジはどうか?
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