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昔から、好奇心の薄い子供だった。それを物心ついた頃から薄々自覚していた。心揺さぶられるという現象は激しく体力を消耗し、精神を酷く疲弊させた。知ろうとすればするほど、自分自身の中にある目に見えない何かが消費され、好奇心の行きつく先が期待していたものと違うと気が付いたとき、絶望が津波のように押し寄せて、私の大切なものを身体と一緒に丸ごと飲み込まれていく気がして私は途方もなく落ち込むのだった。そんなものだから、いつからか好奇心(或いはそれに似通ったもの)を無意識に捨て去ってしまっていたのだろう。しばらく、感情は凪いだまま波を立てない。
私にしてみれば学生生活中の学びというものは実に簡単だった。教師の言うこと、教えることを飲み込み、丸ごと吐き出すだけ。毎日繰り返す内にそれは脳に定着して知識になり、今や私の仕事になり、財産を生み出した。学びは苦じゃない、子供たちは可愛い。この仕事につけたことを私は心底嬉しく思う。
しかし私の知識は今以上に深まることはない。この仕事において、好奇心からなる知識は何よりの財産だ。私にはそれが欠如している(そうでないにしても人よりは随分と少ない)。人に教えられたこと、学んだことを、飲み込み、吐き出す。私にできることはただそれだけ。大学を卒業して自らが教える側へと転ずると、私自身が自らの言葉を持たないことにようやく気が付いた。私の学習は常に教師の模倣で、自らが教師をいう存在を持たなくなった今、私に吐き出すものは何もない。上っ面の知識のみだ。他の教員との温度差は瞬く間に広がっていった。私は情熱や知識欲のある教師にはなれまいと嫌でも痛感した。そして迷いを振り切れない内に、ずるずると臨時採用の養護教諭を続けてもう四年もの歳月を費やしてしまった。
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