8 そっけない看板

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 綺麗で、長い髪は風に揺れるとサラサラしてて、そんで、きっと一誠の店に負けないくらい甘い香りがする。睫毛も長くて。女の人だから、化粧、してたな。細かった。白かった。  想像したら、胸の辺りがぎゅっときつくなったような錯覚に襲われた。人じゃないから、そこに心臓なんてないのに、心臓の辺りがぎゅっと締め付けられた。そんなの今まで感じたことのない感覚だからびっくりして、布団の中で、身体を小さく丸めた。丸くなりながら、あの女性客が座ってモンブランを食べてて、その隣に、一誠がいるところを想像して、もっと身体を小さく丸めた。  一誠のお店に行くのは一週間に一回。看板を描くために寄っていた。毎週月曜日。だから、この前、途中で帰るって言ってた後、次に来るのは、今日、一週間後の月曜日  看板描いて、お礼に、甘いココアを一杯もらって、そんで少しだけ話をして、帰るんだ。話、にはあんまなってないかもしれないけど。いつも、一誠があれこれ話して、俺はそれに返事をするだけ。人のために作られたくせに、人が嫌いで、人が怖い。でも一誠は怖くないから。嫌いじゃないから。  そう! 嫌いじゃないんだ。  一緒にいて楽しかった。向こうは……楽しいのかどうかわからないけど。楽しいか? って、訊いたら、優しい顔で笑ってた。  いっつも笑ってて、そんで、あの美人のお客がいた時もそうやって笑ってたから、なんか、その笑顔がとてつもなくだらしなく見えて、それで帰ったんだ。  鼻の下伸ばしやがってって、そう思って呆れて帰っただけ。だから、別に看板描きたくなくなったわけじゃないし。あそこが嫌いになったわけじゃない。  だって、そうだろ? 接客業だからって、女性客にばっかヘラヘラしてるなよって思うだろ? 他の男の客に対しての対応を見たわけじゃないけどさ。  でも、看板は、書くよ。  約束したし。俺の絵を飾ってくれてる貴重なファンだし。 「……ぁ」  一週間、まっさらな看板が出てるのかなって、思った。俺は、この一週間で、自分のイライラの中身を色々考えてたよ。  考えた結果出た答えは、嬉しかったから、だった。
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