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――トウ君はね、歳、取ってるわよ。いつまでもピチピチってわけないでしょう?
そう言って笑ってたけれど、俺は意味がわからなかった。「違うよ? 俺はセクサノイドっていう機械で、食べ物も必要ないし、歳も取らない。ずっとこのままなんだよ?」って言いたかったけれど、ほらほら待たせたらかわいそうだと井上さんに帰されてしまった。
「ただいま」
「おかえり。今日は遅かったね」
「あ、うん」
「それにしても、何? 今日は夕飯作っちゃダメだなんて」
「うん」
でもさ、井上さん。
俺はやっぱり歳を取らないよ? 作られた日はあるけれど、でもやっぱり歳は取らないんだ。ずっとこのままなんだ。
「あの、これ」
「……」
「今日、一誠の誕生日でしょ? 仕事のさ、一緒にやってる井上さんにね、教わったんだ。井上さんの故郷の味。俺が作った」
「トウが?」
「う、ん。ちゃんと井上さんに味も見てもらってるから大丈夫だよ。食べられ、」
「っ、トウ、ありがとう」
「!」
一誠が抱きしめてくれた。ギュって、強く、しっかりと。
「ありがとう」
びっくりした。急に抱き締めるから。たくさん入れてくれたんだ。井上さんがタッパにさ、たんまり入れたから、ちょっとでも傾けると中身が溢れちゃうんだってば。
「……うん。どう……いたしまして」
あったかい匂いがした。ミルクとクリームの優しくてあったかい匂いがする。抱き締められてるからか、それは一誠からもしているような気がして、あったかくて美味しそうで、タッパの中身が溢れないように気をつけながら、俺もギュってその匂いごと一誠を抱き締めようと背中に腕を回した。
「ど、どう?」
「トウは? どう?」
質問に質問で返さないでよ。
一緒にプレゼントしたランチョンマットを敷いて、その上にシチュー皿いっぱいに作りたてのミルク煮をよそってあげた。俺のは……ちょっとだけ。食べてもあまり意味がないから。でも作ったんだから食べないとって一誠に言われて。
それからいつものココア。
「美味しい、けど」
「俺も美味しい」
「ホント?」
「うん。凄く美味しいよ。これを井上さんの生まれ故郷では朝にも食べるんだ? 優しい味でいいね」
たくさんの人が一緒に食べるんだって。家族、親戚、近所の人、このミルクの優しい匂いにつられて食べに来ちゃうから小さな鍋でなんて作らないんだってさ。大きな大きな鍋で全部一緒に煮ちゃうんだ。それでも気がつけば空っぽになってしまうからって、井上さんのうちにある一番大きな鍋に並々入ったミルク煮をゆっくり優しく、焦げてしまわないようにかき混ぜながら教えてもらった。
「それにこのランチョンマットも可愛い」
「! 本当? これ、俺、がさ、一誠の誕生日プレゼントを買いに行ったらお店の人がこれがいいじゃないかって教えてくれた。最初、時計とかネクタイとか香水とか見てたんだけど、なんかイマイチ一誠っぽくなくて、どうしようって迷ってさ」
凄く怖かったけれど、でも、困ったからそっと恐る恐る手を伸ばした。すみませんって。
「贈り物なんだけどって言って、こんな感じの人にプレゼントしたいんだって説明したら、その人がいい物があるって、これ売ってる場所に案内してくれたんだよ。別のフロアだったのに」
あの人、あの後、怒られなかったかな。あれってさ、俺の仕事場に置き換えたら、物品部門の俺がなんか梱包のところに行って勝手に箱入れし始めるのと一緒のことでしょ? そんなことしたらめちゃくちゃ怒られる。
「赤いランチョンマットに白いミルク煮だから、なんかちょうどいい感じになって、ちょっと嬉しい。あ、それでさ、井上さんの若い頃の写真見せてもらったんだ。めっちゃ美人だった。オメガなんだけど、だからかなぁ」
本当に可憐な人だったよ。
「けどあんまりその写真見ながら可愛いって言い過ぎて怒られた。今はもうただのおばさんですって。でも、俺にしてみたら羨ましいけど。歳、取れるってさ……」
一緒に俺も歳を取れたら、どんなにいいだろう。もしもさ、それが叶ったら、とってもとっても嬉しいのに。
「そう?」
「そりゃそうだよ! 俺は」
「トウだって、歳取ったよ」
「……ぇ?」
取らないよ。ずっと俺はこの――。
「君にだって誕生日はあるだろ?」
「……」
「君が生まれた日」
「それはっ」
それは作られた日だ。製造日。生まれたんじゃない。
「その生まれた日から、少しずつ、悲しいことも辛いことも」
「……」
「それから俺に出会ったことも、全部が君に刻まれてる」
「……」
「確かに容姿は激変しないかもだけど、でも、やっぱり容姿は変わったよ」
一誠はそう微笑んで、俺の頬に掌で触れる。
「こうして触れると君は自然と目を瞑るんだ。最初の頃は違ってたよ? 自分に触れようとするものに警戒心があったから、じっとその手を見つめてた。でも今は目を閉じるんだ」
他にもあると一誠と暮らしてから変わったところを教えてもらった。前に髪を乾かさずに寝て翌朝爆発したような髪になってから、いつも寝起きに頭を触ること。絵を描くと必ず楽しそうに一誠に見せに来ること。他にもたくさん。
「それからココアが大好きなこと」
「……」
「たくさん君は変わった。それは歳を取るのと同じだ」
「……」
「ね?」
一誠が微笑みながら、その触れてくれる掌で俺の手を包んで、そっと俺のことを引き寄せてくれる。
「あぁ、それから、一番変わったところがある」
「?」
「トウは気がついてないかもしれないけど、トウはさ、たくさん笑うようになったから」
その手が今度は俺の目元を撫でた。
「ちゃんと皺があるよ」
そして、皺なんて一つもないセクサノイドの人工皮膚を優しく、優しく、撫でてくれた。
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