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◇
カタンー…
デスクの右端に置いてあったお気に入りのペンが、マウスを動かす私の手にあたって床に落ちた。ほんのわずかな音だったけれど、少なくとも隣や向かいのデスクにまでは聞こえていたはずなのに。その音に、振り返る者は一人もいなかった。
もうすぐ就業の17時を迎える時間だからか、みな、自分の仕事を終わらせることに終始しているのだろう。当たり前の、なんてことないこの出来事が、脳裏の記憶と酷似していて妙に可笑しくなった。
「教室でペンを落とした一人の学生がいたんだって。その音に教室内のクラスメートは誰一人気付かなくて、その日、その生徒は屋上から飛び降りて死んだんだ」
そんなことを話してくれたのは、音楽関係の仕事をする友人だった。
「わかるかな。そのペンと自分を重ねて見てしまったんだ。誰の目にも映らない、気にも留められない自分。その虚しさに気づいちゃったんだ」
人の心を動かすために、歌詞や音で伝えるために常に頭を働かせる彼が、何気ない会話の中で私に話したことだった。その時、私が考えていたのはもっと別のこと。もうここ数年、いや、もっと長いあいだ。私を通り過ぎていった人たちのことだった。
就業の時刻になり、残業もない今日は15分後には社屋を抜けて外の空気を吸っていた。仕事に差し支えるからと、いつの間にかプライベートタイムでもマナーモードになったままの携帯がその振動でメッセージの受信を知らせた。
“残業なさそうならご飯でも行かない?”
この誘いは、ここ最近頻繁に飲むようになった岡田からで、週末恒例行事となりつつあった。岡田と二人だったり、岡田の職場仲間でもある新田さんや木村さんとだったり。その空間を心地いいと思う。この関係を、永遠にしたいというのは我が侭な願いなのだろうか。私には、選べるものなど限られているというのに。
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