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「キスは……褒美や罰じゃなかったんですか?」
抱きしめらながら、惚けた頭で思ったことをそのまま口にする。
「……お前次第だ」
いつもよりも甘い声が耳に届く。
どういう意味なのかよく分からなかったけれど、分からなくてもいいやと思った。
今、この瞬間が、とても幸せだから。
ずっと、こうして榊田さんの胸の中に包まれていたい。
離れたくない。
けれど、榊田さんに方から抱きしめていた手を解かれた。
名残惜しむように互いの目が重なる。
「俺はこれから会社に戻らなければいけない」
「そう……なんですね。じゃあ私、電車で帰ります」
「それなら駅まで送る」
「大丈夫です。もう駅はすぐそこですから」
榊田さんは逡巡していたけれど、腕時計を見て、「分かった。気を付けて帰れよ」と言って駐車場に向かった。
時間がなくて急いでいるのか、こちらの方には振り向かず歩いていってしまった。
遠くなっていく榊田さんの背中を見て、寂しいと思ってしまうのは、私がまだ子供だからだ。
忙しい中、時間を縫って、私に靴を買ってくれた。
それだけで十分なのに、むしろ光栄すぎるくらいなのに、どうして寂しいと思ってしまうんだろう。
欲張りになるな、と自分に言い聞かす。
これ以上を求めるな。
この関係に意味を持たせるな。
進展を期待するな。
色んな感情を振り払うように、踵を返して歩き出す。
新しい靴は私を少しだけ大胆にさせて、もっと大人になろうという気持ちを湧き上がらせてくれるようだった。
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