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※※※
パスコードと生体認証を通過し、アパートの入り口をくぐる。
旧世代の建屋はあちこちにガタがきており、住んでいる住人もまっとうとは言い切れない。防犯システムには穴があるし、治安維持の優先度も低い。
しかし、それらの諸条件は、レンにとって都合がよかった。
(……別に、悪いことをしているわけじゃ、ないのにね)
よくはないと想いながら、ため息をつき、足を止める。
――自宅の扉に手を添え、センサーに網膜と指紋を認識させ、声を出す。
「帰ったわ」
小さな音とともに、扉が開く。
最先端の環境では、帰り着く時間や生体信号から、家そのものが快適な環境を構築するとも言われる。
(SF作家としては、触れたいところだけれど)
今のレンにとって帰るべき場所は、懐かしい未来だ。
そう想いながら、扉を開けると。
「おかえり、レン」
「ただいま、ケイ」
声をかけあう姿は――年老いた母と、美男子の子供にしか見えない。
だが二人は、パートナー制度を交わした、れっきとした夫婦だった。
「今日の同窓会、楽しかったかい」
「ええ。みんな、順調に年をとっていたわ」
「老化を止めることは、今、禁止されているんだろう」
「建前よ。年齢より若い、なんて褒め言葉……みんな、わかって使っているんだから」
なるほど、と小さく笑うケイの口元から、笑い声以外の音が鳴る。
「……口元の動き、鈍いのかしら」
「少し、ね」
口だけではなく、手足や指先からも、金属がきしむような音がする。
――ケイは、椅子から動かない。いや、動けない。
「でも、今日は調子がいいよ。頭が、きちんとしている」
「眠ることも、前より楽?」
「おかげさまで、起床も楽になったよ。……でも、高かっただろう」
「あなたの身体のためよ。もう、不意に止まって、身体が固まる光景……見たくないもの」
レンはそう言いながら、ケイが座る椅子の後ろへ、眼を移す。
そこには、アパートの一室を大きく占める、黒く四角い箱が鎮座している。
――旧世代のバッテリーボックスですら、こんなに大型じゃないだろうに。
ただそれだけが、今のケイの命をつなぎ止めるために必要な、唯一のものなのだ。
(……まるで、墓石のよう)
そんなことを考える自分が、レンは嫌になる。
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