思い出のクッキー缶

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 私が高熱にうなされている最中、どこか遠くから茜の声が聞こえた。  ああ、そうか。私の看病をしに来てくれたんだ。  何せ私たちは数年来の付き合いだ。親友と言ってもいい。だって、こうやって私が風邪をひいているときに駆けつけてくれるんだもの。  それに病気で弱っているときほど、誰かの気遣いというのは暖かく心に染みるものだ。ああ、なんて素晴らしい。  親友、ばんざい!  けれどそんな私の期待を、茜は全力で裏切ってくれた。  私は夏風邪を引いて寝込んでいるというのに、茜はずかずかと部屋に上がりこんできた。そして「これ、蘭子のだから」と言い添えて『何か』を枕元に置き「そんじゃあ、風邪もらいたくないし私もう帰るねー」と手を振って出ていった。ものの数秒の出来事だった。あれはお見舞い……なのだろうか。  茜が私に押し付けてきたのは、錆び付いてぼろぼろになったクッキーの缶。  しかもそこかしこにガムテープがぐるぐると巻かれていて「この缶は絶対に開けさせまい!」と言わんばかりの様相だった。  にしても、こっちは息を吸うのも苦しいというのに、なんという仕打ちだろう。だいたい、茜があんなに元気いっぱいなのは私に対する当て付けのつもりだろうか。その健康っぷりをひとかけらでもいいから私に分けてほしい。  この破天荒な我が親友はいつも突拍子のないことばかりするけれども、今回ばかりは意図がさっぱり読めなかった。というか、持ってくるんなら風邪薬とか栄養剤とか、そういうのにしてほしいよ。こっちは病人なんだからさ。気が利かないなあ。そう心の中で、茜に対しざくざくと悪態をついてやった。  ベッドからむっくりと起き上がる。ぜえぜえと息を切らせながら、そのクッキーの缶を眺めた。ガムテープで雑に巻かれたその缶は、鉄の錆びも相まって本来の姿からはかけ離れているようだった。  くるっと回して、缶の裏側を見てみる。そこには汚い字で『2ねん1くみ 春日らん子』と大きく書かれていた。さらにじっくりと観察してみると、テープとテープの隙間からかすかに花びらの絵が顔をのぞかせていることに気づいた。  ……思い出した。  これは、私が小さい頃よくお父さんに買ってもらったクッキーだ。  十年前の私は、大好きなクッキーの缶に大切なものをぎゅうぎゅうに詰め込んで、しっかりとふたを閉じた。
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