思い出のクッキー缶

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 それ以来、お父さんのことを思い出すのが辛くなった。  あの頃の空気を反芻することも、ましてや振り返ることもできず。  いつしか私は家族の記憶に蓋をして、閉じ込めてしまった。  私の中にたくさんに残っていたはずの思い出は、行き場を失った。  代わりに、ほの暗い心の底から声が浮かんでくるようになった。 『記憶を薄めて、限りなく透明にして』 『何も、見えなくなってしまえ』 『いい思い出も、悪い思い出も』 『まとめて消え去ってしまえ』  そんなの、聞きたくない。  けれど。  もしもそれが叶うのなら、私はようやく楽になれるんだろうか。  憎らしかった夏風邪もようやく治り、私は今日も勉強に明け暮れていた。  目指すは県外の国公立大学。となれば、ここを出て独り暮らしを始める必要がある。そのためには奨学金だって貰わなければならない。それも出来れば無利子がいい。  夏休みの間、私は毎日十時間を目安に勉強していた。  「夏休み」なんてのは名前だけで、遊ぶのも休むのも二の次三の次の毎日だった。なのに、風邪で三日も寝込んでしまったんだ。受験は一分だって待ってなんかくれない。はやく遅れを取り戻さねば。  そうやって私は、今日も参考書と問題集を相手に取っ組み合いの勝負を繰り返していた。  机に向かい、休憩を取るのも惜しんで勉強を進めた。ふと時計を見ると、夜の六時過ぎになっていた。そういえば、お昼ご飯を食べてから一度も部屋を出ていなかったな。けど、それは勉強のはかどっている証拠でもある。  いいぞ。手応えを感じる。そうだ、そろそろ志望校の前年度の受験問題にも手をつけてみようかな。過去問を何度も何度も解いて傾向を知ることが合格の秘訣だって、どこかで聞いたし……。  そう考えている途中、部屋の外から足音が聞こえてきた。 「蘭子ちゃん、そろそろ夕御飯の時間よ。扉、開けてもいい?」  叔母さんだ。私は「どうぞ」とだけ答える。ゆっくりと扉が開いた。 「ちょっとだけお邪魔するわね。勉強、ご苦労さま。ご飯は部屋で食べるの?」 「ええ、そうさせてもらいます」
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