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1.紅茶の香りは晩秋の雨に似合う
「自殺したくなっちゃう」
そう彼女は呟いた。
「なに甘いこと、言ってんの!」
私は紅茶のカップに手を伸ばしながら、いつものように冷めた表情で友人の美香を見すえ、カツを入れた。失恋したぐらいで、男にフラれたぐらいで自殺していたら、カラダがいくつあっても足りない。
美香はしばらくすすり泣いた後で、思い直したかにモンブランにフォークを突き立てた。綺麗にしぼり出されたマロンクリームの真上から、中央にちょこんと飾られたマロングラッセを目がけて、まさにグサリと。
栗の半欠けであるマロングラッセって、ハートに似た形だ。
他愛ない観察をしながら、私はケーキショップの店内を見渡した。
生成り色の漆喰の壁には、パステルカラーのローランサンもどきの女性肖像画、周囲のテーブルに座っているのは私達と同じく二十代の女子ばかり。笑い転げている子達は、いったい何をサカナにお喋りしているのだろう。
テーブルに視線を戻すと、長々と愚痴を吐いて多少満足してくれたのか、美香は眼に涙を溜めつつも黙々とモンブランを食べていた。ケーキ職人が丹精込めて作り上げた繊細なケーキは、彼女の怒りの矛先となったらしく、見る影もなくグチャグチャだ。
「それだけ食欲があるんだったら、心配しないよ」
私は美香が泣きやんでくれたことに安堵して、レトロな花柄のカップから上品に紅茶をすすった。
アールグレイの濃厚な香り。
紅茶の香りは晩秋の雨に似合う。
我ながら洒落た詩的発想は、美香の不服そうな声にさえぎられた。
「それにしてもさ、友達なんだからもうちょっと親身に同情してくれてもいいんじゃない?」
私は美香の整った顔を見つめ返した。
最新のマスカラでエクステンションした長い睫毛。マンガから抜け出した女の子みたいな大きな瞳。アイラインを涙で黒くにじませたパンダ顔のご愛敬が、彼女を珍しくしおらしく見せている。
「同情、しているわよ」
「していないよ。他人事だと思って」
不平を聴きながら、私は胸の内で、やれやれ、と溜息をついた。
美香は女子大時代のクラスメイトで、友達を作るのが苦手な私、金沢樹里にとって、唯一の友人と呼べる話し相手だ。
緊急事態だと突然電話をもらったから、雨模様で家でまったり過ごしたかった週末に、わざわざ駆けつけてあげたのだった。
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