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令が土間から庭へ走り出たところで、開に呼び止められた。
「レイ、どこに行くんだ。生物学概論のレポート、まだ終わってないだろ」
庭の踏みしめられた土の上で、令は足を止めて振り返る。土間の奥に続く八畳間から呼びかける開の姿は、そこからは見えない。
「本はもう飽きたよ。ここからは実践さ。山に行くよ」
開が障子扉を開けて、縁側に顔を出した。縁側の下に放り出してあった草履を見つけると、よいしょと小さく声に出しながら庭に下りる。目の前に立つ令の足下に、鶏が寄ってきていた。
「今から山へ? もう午後だぞ。危なくないか? それに先生になんというんだ」
令が足下の鶏に軽く蹴るような素振りを見せると、鶏は小さく鳴きながら走り去った。
「また兄さんの 、危なくないか? が出たね。先生はこんなことで叱るなんてしないさ。大丈夫だよ。それに、少し遅い時間じゃないと見られないヤツもいるんだ」
開は令の向こうに広がる山々を見つめた。低い山の連なりが濃い緑を湛えて、ぐるりと家を囲んでいる。空はうっすらともやがかかったように白く、決して天気がいいとはいえない。
藁葺きの大きな屋根を持つ、山の中の農家。庭から見渡せる範囲に他に家は見えない。
このあたりでは、夜は本物の闇となる。開には空のもやを通して、その向こうの夜が透けて見えるようだった。
そのとき遠くから、ごーんごーんという響くような低い音が聞こえてきた。開が頭を音の方角に向ける。表情がぱっと明るくなった。
「あれは、伐採機の音だ。そうか、今日から伐採がはじまったんだ」
開も令も、伐採が午前の早い時間から行われていることに気がついていなかった。
ふたり共に期日の迫ったレポートに追われて、連日の夜更かしが続いていた。そのために、講義が休みの今日は午前中いっぱい寝ていたのだった。
昼になってようやく起き出し、開が本を開くと同時に部屋を取びだした令を、開が呼び止めたのも当然だった。
令も音の方角に目を向ける。しかしその表情には開のような明るさはない。その音は動物を恐がらせ、隠れさせるのだ。
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