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光沢を持った黒い樹脂の塊のような、蟻の頭が見えた。ひと抱えもありそうな大きさだ。
凛が、叫びそうになる口に掌を押しつけて息を止める。
令の真横を小刻みに頭を動かしながら、蟻が通る。
頭部先端から生えた触覚が開の脚に触れ、蟻がぴくりと頭を動かして開を睨む。その眼は焦点が定まらない無数の複眼だ。開はその瞬間で動きを止めて、凍りついた。
しかし、蟻の頭部についたのこぎり状の顎が動くことはなかった。
蟻はがさがさと六本の脚を動かして、器用に三人を避けて通り過ぎていった。
そしてすぐにまた蟻が現れる。しびれたように動かない三人の横を、蟻が次々に流れていく。
群れの大部分が通り過ぎるためには、それから一時間ほどが必要だった。
三人はただじっとその場でしゃがみ込んで流れていく蟻を眺めていることしかできなかったが、令だけは眼を輝かせ、来ては去る蟻の一体々々を嬉しそうに観察していた。
令のいった通りに、蟻が三人を攻撃することはなかった。
草原をかき回すようながさがさという音が小さくなり、やがて風の音と、忘れていたようにときおり聞こえ出す伐採機の音が再び耳に届くようになったとき、令が立ち上がった。
「すごい、すごいすごい」
令が叫びだし、その場で飛び上がる。
「な、兄さん、危なくなかっただろ。すごかっただろ」
反論したいことはありすぎるくらいにあった開だが、とても今は令と口論できる状態ではなかった。
先生ならどういうのだろうか。先生なら、どう令を叱るのだろうか。それとも、叱らないのだろうか。
ふと凛のことを思い出し、もしや恐怖で立ち上がれなくなっているのではと彼女を見やると、凛は令に続いてすぐに立ち上がり、膝の汚れをぱんぱんと手で払っている。
「少し怖かったけど、見慣れるとかわいいのかも」と、凛は事も無げにつぶやく。
凛に力を借りて令に少しは反論しようかと思った開だったが、凛のその姿に完全に機会を失い、仕方なくゆっくりと立ち上がった。
害はないと話した令は、正しかったのだ。
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