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進一が大切に思っているのは妻の冴子。自分の命と引き換えにしてでも守りたいと思っているのは彼女一人。だがそれと同じくらい、切り捨てられないものが母なのだ。
その後話し合いが持たれ、一度は家に戻った冴子だった。が、彼女の帰宅は遅くなる一方だった。
今日も浮気相手と遊んでるのか。
たまに早く帰っても冴子はいない。進一の中の置き火が再燃する。
ーー冴子は元々一人の男で落ち着ける女ではなかったんだ。
嫉妬の感情はやがて進一を夜の蝶の元へと走らせた。進一が持ち帰ってくる香水の移り香が部屋に充満するようになった。
ある日進一は見慣れないものを部屋で見つけた。
小さな硝子の灰皿と吸い殻。
その吸い殻はフィルターが燃えかけていた。
あの日以来進一はこの部屋で煙草を吸っていない。
とすれば冴子しかいない。しかも自分とは銘柄が違った。
喉元にせり上がってくるものは吐き気。頭皮の血管がピリピリとした痛みを左耳の後ろから頭頂にかけて走り抜けていく。
ーー男の趣味か?
灰皿を掴み壁に投げつけようと、持ち上げ……
そのままゴミ箱に吸い殻だけを捨てた。
いつしか部屋には香水と共に煙草の臭いが染み付いた。
*
ーー結局、一年持たなかったな。
離婚届に印鑑を押した時の指の震え。先に押してあった印鑑は、進一の押したものと同じように印影がブレていた。それが進一にとっては救いだった。
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