終わりへの鐘

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手を広げてそこに立っているのは決して二枚目とは言えない初老の男。がその顔には満面の笑みを湛えていた。 「ありがとう、どうぞ」 なんでありがとうなんだろう。自分で言ったくせに理由がはっきり思い出せない。 男は無遠慮に部屋に入ると、まだ煙の立ち上る煙草の皿を台所に持って行く。 「これからは、私がいないと吸えないからね」 ライターをポケットに放り込み、部屋の片隅に寄せてあったカーディガンと鞄を持って戻って来る。 「鍵は?」 鍵……。 鍵って、どこの? 部屋の中を見回すけれど鍵の必要なものなど見当たらない。なんでこんなに何も無いんだろう。 あるのは部屋の隅にダンボール箱が三つ。それとボストンバッグ一つにハンドバッグ。 フライパンはどこ?シンク周りは何もない。どうしたんだっけ?ああそうだ。あの段ボール箱。昨夜あそこに私が入れた。 一つ思い出せた事で彼女の心は十分満たされたが、どうやら目の前の男は違うらしい。 男がご機嫌を取るような柔らかい声を出す。 「この部屋の鍵だよ………冴子」 冴子……? 唇にもう一度指を当てる。 ああ、それは私。いやだ、今自分の名前を忘れてた。そうか、病気が進行してるのね。 彼女は唇に当てた指を咥えてみる。 もう少し思い出せそうだ。     
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