終わりへの鐘

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「やっと手に入れた。二度と手放さないよ。君が結婚したと知った時の私の気持ちなんか分からないだろうね。 あの後私も結婚したが、どうにも君を忘れられなかった。うちの事務所に君の後見人依頼が来たときは鳥肌が立ったよ。やっと私だけのものに出来ると小躍りした」 冴子を覗き込む黄疸気味の目がきらりと光る。 「もう離さないよ、冴子。 週末は外泊しようか。そうだ、温泉はどうだ?一件クライアントの所に訴訟の打ち合わせに行かないといけないが、温泉が近いんだ。予約しておくよ」 掛け流しの温泉のように言葉の尽きないこの男は、昔からの知り合いだったのか。 冴子は楽しそうにブラウスのボタンを外す男の姿から視線を窓に移した。 さっきまでの明るい空が少し暗い。雨でも降るのだろうか。 「そういえばどこに行ってたんだ?」 「さあ。どこと言われても」 気がつけばここに戻ってきていた。誰か手を引いてくれて……看護師さんかしら。 「知り合いがいたのか?」 冴子の口元に笑みが浮かぶ。 「……ええ。」 「後で一緒に探すかい?」 「いえ、いいの。……忘れちゃったし。それに……」 「それに?」 冴子は何も言わずにゆっくりと首を横に振った。雲が切れたのか、また日差しが戻ってきた。 その代わり黄金色だった光は既にオレンジ色に変わっている。秋の日没は早い。     
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