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まだ閉めていない窓から風がふきこみ、大きくカーテンを揺らす。
冴子の体がびくんとはねる。
「ああ、ごめんよ。寒かったね。今閉めるから」
男が窓に向かう。
「来た」
彼女の口元に微笑みが浮かぶ。
「誰がだい?」
窓を閉めた男が不審げに問う。
「ごめんなさい」
冴子が男に手を伸ばす。
冴子に誘われるように再び彼女を掻き抱く男には、進一の姿は見えていない。
冴子は極上の笑みを浮かべる。
名前さえ思い出せないこの優しい人に向けて。
自分にはもうこの体しか残っていないから、死ぬその瞬間まで貴方の好きにしてくれていい。
でも心はこの人のもの
初めからこの人だけ
お帰りなさい
あなた
私の愛しい夫。
進一の亡霊が男と重なる。
冴子は男の体に緩く腕を巻き付けた。
進一が冴子の頬に触れた。
懐かしい匂いが冴子を包み込む。
もう
煙草は要らない
他の女の匂いを消すための煙は
もう必要ない
冴子にしか見えない進一の手に頬ずりしながら微笑む。
冴子の肩に別の小さな手が伸ばされる。ゴメンね、産んであげられなくて。
でもこれからは、パパもママも一緒。
いつまでも いつまでも
全てが零れてしまったこの手に
再び満たしましょう
無上の愛を
「幻覚が出だしたのか?大丈夫だよ、私がついている」
待っていたの、と宙を見ながら呟く冴子の後ろ髪を、男はいとおしそうに撫で続けた。
完
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