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ふたり以外誰もいないホームのベンチで電車を待つ午前10時。
まだ日差しは強いけど身が溶けそうな暑さはなく、蝉しぐれも聞こえない。
隣で今日出るはずだった会議の報告内容を代理の沢に伝えている松永を見ながら、夏が終わるさみしさよりも来る秋に心を奪われている自分。
今雛沢を出ても向こうに着いたら夜になる。有給を使うのは五年ぶりらしい松永に申し訳ない気持ちもあるけど嬉しい気持ちが勝っていた。
「沢さん大丈夫かな?」
「栗原さんもいるし大丈夫だろ」
電車が発車しこれといって会話もないまま気づいたら松永は寝ていた。秋よりも一足先に手が届く、松永の手を起きない程度にぎゅっとにぎる。全部自分の願望が見せている都合のいい夢かもしれない…。それならそれでもうずっと覚めないでいたかった。
手のあたたかさと電車の揺れにうとうとしはじめた頃乗り換えになる。
次の電車が来る前に弁当を買う。ふわふわのうにがぎっしり詰まったうに弁当は自分ので網焼き牛タン弁当は松永の。
車中でがつがつ食べている横顔に自分のことをいつ好きになったのか?それだけ聞いてみたかった。
「お前さ、飲まないくせに酒飲みみたいな食い方するよな」松永が言った。
「そう?」
携帯見て箸をつけ、音楽を聞いて箸をつけ、少しうとうとして目覚めたらまた箸をつける。
遠まわしに行儀悪いって言われたのかと思ったけど、松永は遠まわしなんて器用な言い方はできない。思ったことをそのまま言っただけだ。
「一緒に飲める人がよかった?」
声にしたら頬に視線を感じた。そんなことねーよって即答しないとこが正直でいい。松永は思ってもいないことは言わないし、できもしないことを口にしない。南の気持ちに責任をとれないなら迎えにきたりしない。きっとそうだ。
着く頃にはすっかり夜になっていた。はじめて乗る松永の車の助手席は煙草のにおいがする。
「寮でいいか?」ナビを設定しながら聞かれ「…うん…でも」と言い淀んだ。まだ、もう少しいたい。だけど映画を見るのもファミレスに行くのもカラオケもいろいろ、いつも遊んでる場所に行きたいわけじゃなくて、ただここに、横に座っていたいだけだった。帰り道ほとんど会話なんてしてないのに、そばにいるだけで時間が8倍速で過ぎていく。一日一緒にいるのにまだ全然たりなかった。
「別にうち来てもいいけどな」松永がぼそっとつぶやいた。
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