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席に座る僕に、宝来さんが焦った顔で迫って来た。 「あ、あのな、シロ」 「何ですか?」 「ち、痴話喧嘩って・・・」 「だって、痴話喧嘩でしょ?」 見上げる先の宝来さんの狼狽ぶりに、僕はああと得心する。これは、口止めに来たのに違いない。同じ部署内で恋人がいるとなると、他の人も気を使うだろうし、色々大変なんだろう。 まあ、噂として流れてはいるんだけどね。火の無い所に煙は立たないってやつだね。 「付き合ってるってことは内緒なんですね」 小さい声で問う僕に、宝来さんは大きく目を瞠り固まった。 「でも、あんなに戯れあってたらバレバレですよ。仲が良いのはいいですけど、人目が気になるなら考えないと」 「・・・ま、待て、シロ。誤解だ」 「隠さなくてもいいですって。僕は口が固いんです。安心して下さい」 僕は大丈夫だと、力強く頷いた。 「い、いやな。そうじゃなくて・・・」 「189~192番の人、お待ちどうさまでーす」 マイクのアナウンスが、宝来さんの言葉を遮った。僕は自分の食券番号に目を向けた。 「出来たみたいですよ。取りに行かなきゃ」 複雑な顔をしてる宝来さんに首を捻りながら、辰さんを見上げた。 「辰さん・・・?」 辰さんは立ったままで口元を覆い隠し、俯き肩を震わせていた。僕は目を大きく見開くと、耳も尻尾もピンと立てて宝来さんの腕を揺すぶった。 「宝来さん、宝来さん。辰さんが泣いてます」 僕が慰めて上げて下さいと、宝来さんに促せば、ぶっと噴き出すような声が聞こえて来た。 宝来さんがゆっくりと振り返った。僕は本当はこの場から去った方がいいのだと思う。 二人のイチャつきを見るのは目の毒だと分かってはいるのだけど、何となく去り難くて二人に視線を向けた。 すると、宝来さんと目が合った辰さんが、なぜか顔を青ざめさせ、ひっと声を漏らし顔を逸らしていた。
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