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◆ その人は、とても不思議な人だった。年齢は35歳。年より幾分か若く見えた。 飄々とした佇まいは、世慣れしていないような、浮世離れしているようなそんな雰囲気があった。 「困ったな」 本当に弱り切った顔をしてため息を吐き出した。その傍らでは、狂気を孕んだ目をした女性がひとり、何事かを呟きながら息絶えた男を滅多刺しにしている。その温度差に首を傾げる。 「僕は研究にしか興味がなくてね」 僕が不可解な顔を向けると、彼はまるで彼女を庇うかのように言葉を紡いだ。 「彼女には寂しい思いをさせてしまったのだと思うよ。人としての欲求よりも研究が大事だったんだ。上司の勧めで見合いして流されるように結婚したんだけど、一度も彼女を見ようとはしなかった。だから、他の女にうつつを抜かしていると勘繰られても仕方ないよね」 諦念を宿した目で笑う。恨みつらみを口にするでもなく、彼は研究が途中になってしまったなと、悔恨の念を口にする。 「恨んではいないんですか?」 彼の魂には一片の曇りもない。憂いている事柄に嘘はないのだろう。でも、こんな対象者は初めてで、僕は戸惑ってしまっていた。 「恨んでないよ。さやかさんは一生懸命歩み寄ろうとしてくれてたんだ。それなのに、僕は彼女を見ようともしなかった。バチが当たったんだよ」 「では、心残りはありませんか?」 宝来さんが静かに問いかけた。 「うん、ないよ。研究の成果が気にはなるけど・・・何年もかかるような研究だし、仕方ないよね」 最後の最後まで彼は研究のことにだけ心を配った。僕には彼が、人との繋がりを必要としないまま生きていたように見えた。そして、そんな人に惹かれてしまった彼女は不幸だったのだろう。 求めても与えられないことに焦れて、気持ちを拗らせた挙句、嫉妬に狂い自分を見失ってしまったのだろうから。 僕は、血しぶきで顔を真っ赤に染めた彼女を見る。 「現世との絆を断ち切ります」 宝来さんが告げる言葉に彼は頷いた。 鞘から刀身が抜かれると、辺りに青白い光が散らばった。昼間は太陽に隠されて見えない光の粒が、闇の中で舞い散る。 まるで、蛍の群れの中に舞い込んだような錯覚に捕らわれて、幻想的な光景に息を飲んだまま見惚れた。 舞い散る青い光の粒子が対象者を取り囲む。刀身が綺麗な弧を描いたあと、光が一瞬で霧散した。 「ーー逝きましょう」 促され彼は頷いた。
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