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「アオさん」
その時声を掛けてきたのは、昨日夕食で一緒だった浅見だ。
「浅見さん」
振り向きながら一礼する。浅見は本日は帽子を被っており、それを手で押さえながら、彼も私に向かって軽く会釈した。
「こんちには。どうですか、調子は」
「はあ、まあ、ぼちぼちですね」
「そうですか」
言いながら、浅見は苦笑した。何となく元気がないように感じる。
「あと少しで解けそうなんですが…初心に戻ろうと再度現場を訪れてみました」
まだ解けていないのか。まあ無理もない。将棋に興味がなければ糸口が見つからないだろう。携帯電話もなく調べることもできないだろうし。
「刑事さんはまだブナの間にいたんですか」
「ええ。昨日と同じやり取りを繰り返しています。大変でしょうね」
確かに。もしや夜通しやっていたのだろうか。
「ふとした拍子に閃くかもしれませんよ」
「アオさんはもう解けたんですか?」
「ええ、まあ。ただ正解かどうかはわかりません」
「そうですか…羨ましい」
頑張ってくれ、としか言い様がない。先程のホームズのようにぺらぺらと推理を披露したくはなかった。
「じゃあ俺は「おーい、くまー」
浅見が踵を返そうとした時、大きな声が廊下に響いた。
「はい?」
なぜか浅見が反応する。
が、違ったようだ。
エレベーターから、ネームプレートに『くま』と書かれた大男を呼ぶ声が聞こえただけだった。くまをネームに選んだ男は名前通り大きい。のそのそと歩く姿は確かにクマだ。
浅見が半笑いを浮かべ照れくさそうに頬をぽりぽりと掻いた。
「自分が呼ばれたのかと思いました」
「そうですか」
私はそう返事をする。が、浅見の体格はどう見てもクマとは程遠い。痩せ型の彼にはまったく縁のない名前なのではないか。
昔北海道でクマがたくさんいる動物園に行ったことがあるが、どいつもこいつも巨躯で存在感があった。餌をやれるのだが、正直恐くて泣きそうになったのを覚えている。
なつかしい。旅行なんてほとんど行かなくなった。
「あっ」
旅行という言葉で、私は急に思い出した。思わず声が漏れる。
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