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「でも店長、忙しいのにこだなもん切って食うヒマなんかねえ、ってそのまま放置で、結局、誰にも食ってもらえねえままじいちゃんの林檎、どんどん古くなっていきました。私もうまく勧められたら良かったんだけど、言いだせねえで」
沙奈ちゃんは足元のトートバックに目線を落とした。
「今日、早出したらじいちゃんの林檎、ゴミ置場さ箱ごと捨ててあったんです。私、そのまんまにできねくて拾ってだら、店長に『あか抜けない子の家って送ってくるものまで気が利かないわねえ』って。あなたうちの店、向かないわよって。私思わず、わがったもうもう辞めますって言ってしまって」
「んまぁっ……!」
マリアは怒りのあまり手の中のハンカチを握り締めた。沙奈ちゃんは吹っ切れたように清々しく言った。
「んだがら藍野さまが私の最後のお客様です。私、田舎さ帰ります」
あのクソ店長、潰す……!
これまで聖母のような微笑みを崩さなかったマリアに、めらめらと憤怒のオーラが立ち上る。店内の亀が天変地異の前触れを察知したのか甲羅の中に引っ込んだ。
幸いなことに沙奈ちゃんは話すことに一生懸命で、その素の姿に気付くこともなくカップを置いた。
「今までありがとうございました。藍野さまの御指名すごく嬉しかったです」
「待って、大内さん自分が言うほど駄目じゃないわ。技術や接客は未熟かもしれないけど仕事ぶりは真面目だし、センスはいいのよ」
「いいんです。藍野さまのご親切、忘れません」
「いえあの、これは親切とはちょっと違って」
マリアは焦りに焦った。
この流れでは『ハイさよなら』で終ってしまう。しかも金輪際会えなくなってしまう可能性が高い。思い出の一ページになるにはまだ早いのだ。
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