プール

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アパートの最寄駅の少し手前にそのスポーツクラブはあった。 毎晩終電で帰る時に窓からプールの灯りが見えていた。 うだるような暑さの毎日にうんざりしてプールに飛び込む自分を想像していた。 スポーツクラブは遅くまで営業しているらしかった。 以前駅で見た会員募集のチラシでは夜間会員というのもあるようだった。 部屋のエアコンは古いせいかなかなか熱帯夜の室温を下げてくれない。 仕事帰りにそのスポーツクラブの灯りを見るたびに 全身をプールの底まで沈ませて心地良い水に包まれる妄想をしていた。 いつもよりも早く帰れた夜に何となく最寄駅からスポーツクラブまで歩いて行った。 この機に会員になってみようかとも思っていた。 建物は思ったよりは古びていず館内の灯りは温かな光を放っていた。 見学でもしてみようかと思ったのだが受付には誰もいなかった。 仕方なく建物の周りをぐるっと回ってみた。 もちろん中が覗けるようなことはなかったけれど人の声と水音が聞こえた。 数日後友人と電話で話した時にスポーツクラブのことを尋ねてみた。 友人は一種のトレーニングオタクでジムに通っていたしこの辺りのスポーツクラブには詳しかった。 「あそこ、けっこう古そうだけど設備とかどんな感じなんかな?」 「あそこのスポーツクラブ?もう営業してないはずやぞ」 「まさか、毎晩電車から見ているけどちゃんと灯りが付いとるぞ」 「いや、確かだって。うちのジムに替わってきた奴もおるし」 「……この前行ってみたけど、灯りが」 「誰かおったのか?中に入ったか?」 「……それは、入ってないけど、確かに外まで声とか水の音が聞こえて」 「……いや、お前、建物の外にそんな音聞こえるはずないやろ」 言われてみれば学校の屋外プールじゃない、声や水の音など聞こえるはずもない。 「そうか、勘違いかな」とその場を取り繕うように言うのが精いっぱいだった。 その後休日の昼間にスポーツクラブに行ってみた。 確かにそこには営業を止めてからかなり経っているようなさびれた建物があるだけだった。 それなら自分が毎晩電車の中から見ていた灯りは一体何だったのか。 暑さにやられて冷たい水に浸かりたい願望が見せた幻だったのか。 「はは、相当疲れていたんだな、俺」 こわばった笑いをなんとか吐き出してそこから離れようとした時 足元から微かな水音が聞こえたような気がした。
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