第1章

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Ⅰ  まず、黄色と黒、それから無地のケント紙、コンパス、はさみを用意する。準備するのはこれだけだ。  色ケント紙は青と緑が良かった。そのほうがきれいだ。けれど、猫は色盲だから色を濃淡でしか区別できないと、どこかで動物学者が書いていたのを読んだことがあった。青と緑では濃度が近い。それで黄色(薄い色)と黒(濃い色)にした。念のためだ。  ただ、動物学者の言うこともあまりあてにならない。  ミウは病院へ連れていかれるのをとても嫌がる。だからペットキャリーの赤いかごを押し入れから出しただけで、気配を察してすばやくソファーの後ろに逃げ込む。更にこのかごの連想で赤い色も大嫌いだ。一度妻が雨の日に赤いレインコートで帰ってきたときは、一目散にソファーの裏に逃げ込んだ。ミウの前で赤色は禁物なのだ。しかし同じ濃い色でも、黒い礼服ではこの反応は起きない。青いTシャツ、ピンクのセーターでも同じだ。ミウは唯一赤い色、しかも深紅にだけ反応するのだ。つまりミウは赤色を色として認識しているとしか思えない。  鏡に映っているのは自分自身だと分かるのは霊長類以上だとも動物学の本には書いてあった。確かにうちで飼ったほかの猫は、鏡に映る自分の像を爪でひっかいたりしたが、ミウはそんなことはしない。ミウはなぜか飼い始めたときからボウルの水を飲まず洗面台に飛び乗って、蛇口からぽとぽとと漏れる水を飲んだのだが、僕が後ろから近づくと、洗面台の鏡に映っている僕を見て振り返り、ニャッ、つまり見るな!と鳴く。これは明らかに鏡の機能か分かっているわけで、そこに写っているのが自分であることも分かってといることは間違いない。  科学書というものはどうもいかがわしい。それとも動物学者は賢い猫を飼っことがないのだろうか。  黄色と黒のケント紙に、コンパスで眼鏡のレンズほどの大きさの円を書き、ハサミで丁寧に切り抜く。  他にもっと違う実験方法があったかもしれない。たとえば、正しい行動をとればバナナがもらえるというやつ。でもミウには通用しないだろう。ゴリラは餌で釣れるからこの方法が成り立つが、ミウはもともと食にいやしくない。わけあって一種類のカリカリ(ドライフード)しか食べないから、カリカリがお気に入りだと言えなくもないが、だからといってカリカリという報酬に釣られるとは考えにくい。
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