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幼かったころ、越乃は佐加江を連れて村へよく帰ってきていた。
最後に鬼治を訪れた前の年だったと記憶しているから、十八年くらい前だろうか。その出来事は、いまでも鮮明に覚えている。
『今日は、外へ出てはいけないよ』
越乃にそう言われた。
誰もいない、じぃじの家。
昼間なのに雨戸は閉めきられ、いつも開いている玄関に鍵をかけて越乃は出かけて行った。
電気がつけっぱなしの居間で、佐加江は遊んだ。一人でも平気だったのは、この家に我がもの顔で住む、絣の着物を着たおかっぱ頭の座敷童子がいたからだ。
大好きなアニメが映し出されるテレビの前で、三角座りをしながら二人でオープ二ングの曲を元気に歌っていると雷鳴が聞こえた。
このころの佐加江は、鬼を連想させる雷が嫌いではなかった。
佐加江はピカッと光る稲妻を見ようと雨戸に走り、隙間から外を覗き見た。が、外はキンとは冷えた冬晴れ。雨すら降っておらず、そこに見えたのは白装束を着ているが、青藍とは違う醜い鬼の大行列だった。雷鳴かと思ったのは、太鼓の音。神輿を先頭に鬼の行列は鬼治稲荷へと続き、雄叫びをあげ、神輿を壊しにかかろうとする恐ろしい鬼達の様子に、佐加江はお漏らしをしてしまった。
それから一年近くして鬼治を訪れたのが、青藍と最後に会った時だ。
『佐加江?』
『はい』
『ああ……。会わない間に、こんなに大きくなって。すっかりお兄ちゃんだね。先生は良くしてくれてる?ご飯はきちんと食べているの?』
人目を盗んで鬼治稲荷へ向かおうと外便所の裏に隠れていると、やせ細った腹だけが妙にぽっこりと突き出た見知らぬ男性に見つかってしまい、笑ってごまかそうとした佐加江は、その胸に抱きしめられた。
懐かしい匂いがして、なぜだか鼻の奥がツンとした。
やつれた男性は「ごめんね」と何度も繰り返し、佐加江のクルッと緩くカールしてしまうくせっ毛を梳いた。佐加江と同じような髪の男性は寂しげではあるが優しく微笑みながら、目に焼き付けるように佐加江を暖かい眼差しで見つめていた。
『これからも、先生の言う事をきちんと聞くのですよ』
先生とは、きっと越乃の事だ。白装束を着た男性は腹を摩りながら、たくさんの村人が出入りする蔵へとーー。
佐加江は浩太のジーンズの泥を払う手を止め、遠い日の鬼治での出来事を思い出していた。
「な、何?!」
何が起こったのか、よく分からなかった。急に肩を蹴飛ばされた佐加江は、気がつけば青藍の祠の前に転がっていた。
「気安く触らないでください」
ついさっきまで笑顔の絶えなかった浩太の顔が、無表情になっている。
「浩太さん……?」
「オメガは孕むだけの存在だって、父に教えてもらいました」
「孕むだけって……」
「ほんと何も知らないんだ。この村の事も、何も」
しゃがみ込んだ浩太が佐加江の髪についた落ち葉を取り、あの日、見知らぬ男性にそうされたようにそっと撫でられる。ただ違う事は、そこに優しさではなく、痛いくらいの負の感情しかないことだ。
「好きにしていいって言われました、あなたが孕むなら。まぁ、見た目は女みたいだから平気かな」
浩太は髪をグッと掴んだ佐加江の頭を右へ左へ振り、顔のパーツをそれぞれ観察していた。
「目鼻立ちは、期待できるかな」
「好きにしていいって、そんなこと誰が……」
「悪い大人たちが」
「痛いッ、離して!」
クスクスと笑った浩太が、髪を握りしめたまま佐加江を立たせた。
「早く発情して、さっさと孕んでアルファを産んでくださいね。それだけのために俺は退屈なこんな田舎に来たんだから。男とヤるなんて、マジで反吐が出る」
引きずるように境内を連れまわされた。アルファとオメガでは、生まれながらにして体格差があり過ぎる。何から何まで佐加江は劣っていて、抵抗などできなかった。
「痛い。痛いから、離して! 浩太さん」
気分が悪くなり、佐加江がよろけると稲荷の社に背中を打ち付けられ、噛み付くようなキスをされた。
「俺の子種たっぷりあげますから仲良くしましょうね、佐加江さん」
にたりと笑った浩太の胸を、佐加江は力の限りで突き飛ばした。
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