【4】百鬼夜行

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 大げさに転び、わざとらしく痛がる浩太を睨みつけた佐加江はひとり先に帰り、部屋へ引きこもった。  怪我をさせた浩太に謝りもせず、越乃がそうなった理由を尋ねても何も言わず、佐加江は気分が悪いからと部屋から出てようとしなかった。  波風を立てる事が苦手で温厚な佐加江が、これほどまで強固な態度を取るには、それなりの事があったのだろうと越乃はそれ以上、何も言わなかった。 「佐加江が、申し訳ない」 「大丈夫ですよ。こんな掠り傷、大したことありませんから。それよりも佐加江さん、大丈夫ですか。気分が悪いって」  開け放たれた窓の外からは、耳鳴りのように松虫や鈴虫の声する。  頬杖をついた浩太はサラダには一切手をつけず、シチューに入っていたカボチャをスプーンの先でグチャグチャと潰していた。 「大丈夫だよ。少し疲れただけだろう」 「佐加江さんは、素敵な方ですね。越乃さんが、大切に育てたんだろうなって」 「それは、どう言う意味かな」 「父の受け売りです。あっ、そうだ! 佐加江さんにシチュー持って行ってあげよう。美味しかったから」  使った皿を持った浩太は、越乃から死角になる台所へ向かった。そこにはバターソテーした海老が五尾ほど残っている。 「この海老、食べてもいいですか」 「構わないよ。佐加江は、甲殻類アレルギーだからシチューには入れないでくれるかな」  浩太は食べ残したカボチャがある自分の皿へ海老をすべて入れ、まだ温かいシチューを盛り付けた。 「番になる僕の好きなものが食べられないって、どう言うことですか」 「アレルギーだ、仕方ないだろう」  腕を組んでいた越乃が浩太を見ずに立ち上がり、夕飯の片付けを始める。 「夕飯の支度も、そんな片付けも佐加江さんにやらせれば良いんですよ。越乃さん、あなたにはアルファの誇りがないんですか」 「アルファの誇りとは、何かな」 「皆が(うやま)うべき存在です」 「浩太君は、少し時代錯誤しているんじゃないか。それに君は何も知らない」  含み笑いをした越乃を無視し、浩太はシチューを持って佐加江の部屋へ向かった。 「佐加江さん」  返事のない部屋の障子を開けると、雨戸を閉めていない障子越しに月明かりが差し込み、佐加江の呼吸に合わせて掛け布団が小さく上下に動いていた。  畳の上へ皿を置き、浩太は布団を蹴る。 「……な、なに!?」 「佐加江さん、夕飯ですよ」  目を擦りながらのそっと起き上がろうとした佐加江は髪を掴まれ、そのまま皿へと突っ込まれた。 「……んッ」  両肘を立て抗おうとするが、佐加江の弱々しい細腕で浩太に楯突くことなど無理だった。硬く目は閉じているが、口も鼻もシチューに埋まってしまい息ができない。佐加江はもがき、頭を押さえつける手を掴んだ。 「ちゃんと食べてくださいね」  畳に飛び散ったシチューに閉口した浩太の力が緩み、佐加江の手を払う。 「ゴホッ」  佐加江が顔を上げ、口で息をしていると目の前でチカッとデジタル一眼レフのフラッシュが光った。 「越乃さんが全部たべろって」  越乃は佐加江に無理強いをした事がない。時に厳しい事も言うが、我が子のように慈しみ育ててくれた。それが、目の前に置かれているのは皿が一つ。スプーンもなく困惑していると、外を歩く髪の長い大きな人影に気づいた。佐加江は浩太の目を気にしつつ視線だけで、障子に映った影を追う。 「何、見てるんですか」  浩太が佐加江の視線を辿るが、そこに何も見えない。  ーーペチャ、ペチャ。  浩太の注意を逸らそうと、佐加江は畳に両手をつき、犬のように皿を舐め始めた。 「佐加江さんは物分りがいいみたい。越乃さんが甘やかして育てたみたいだけどオメガって、そう言う存在なんだよ」  佐加江は、産まれて初めて口にした食感の物があった。  飲み込んで数分も経たないうちに首辺りが痒くなり、腫れ上がった気道は(せば)まって息が詰まりそうだった。  越乃がバターと小麦粉から作るシチューは佐加江の大好物だ。特に今日のように嫌な事があった日には決まって作ってくれ、素直に話せたものだ。 「……苦、し」 「どうしたの、佐加江さん。全部残さず食べろって越乃さんが言ってたんだけどな。なんなら、そのままバイバイってのもアリかも。ははは」  浩太は腹を抱えて笑いながら、証拠を隠滅するかのように部屋のティッシュで佐加江の顔を綺麗に拭った。佐加江が苦しむ姿さえも写真に収めた浩太は、皿を持って画像を確認しながらクスクスと笑って部屋を出て行った。
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