【3】九十九の願い事

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「ヒィィィィィィィィ!!」  便所の底から成人男性と見られる手がニョキッと出てくるのが、はっきりと見えた。  佐加江は、あまりの恐怖に泡を吹き、白目を剥いてしゃがみこんだ態勢のまま背後にひっくり返り失神した。が、その身体はフワフワの毛に包まれる。 「鬼殿、出るところを間違えておられるぞ。佐加江を脅かしてどうする」 「天狐様、申し訳ございません。叔父様の(いかずち)で磁場が狂っていて……。糞まみれになるのを避けるための止む無き判断でした」  雨の中、天狐は背中に佐加江を乗せてひとっ飛び。それに青藍も続き、風雨を避けるように土間へ飛び込み、天狐は上がり(かまち)へ佐加江をそっと下ろした。 「そろそろ始まりそうだ。佐加江もそれを望んでいる。これ以上の喜びはないだろう」  鬼治稲荷は、鬼が悪さをしないよう狐とともにまつられた神社。どちらが上かといえば天狐は神、鬼は妖怪、言わずと知れた事だった。が、両者は昔から仲が良い。一千年も前に代替わりした青藍は人に言われるような悪さをした事もなく、我が子のように天狐は見守ってきた。 「番になれ。でなければ、我々の世界には連れて行けぬ。仮紋を刻んだ以上、佐加江を連れて帰らねば」 「連れ去ったら村人どもは、また鬼の仕業にするでしょう」 「良いではないか。千年に一度の真実よ。人の世では、嘘から出た誠と言うでないか」 「桐生の時は」 「我の一目惚れよ。子を産むかどうかなど関係なかった。鬼殿が千年、我に名乗らなかった名を佐加江に教えたと言うからには、それなりの想いがそこにはあったのだろう」 「……」 「懐かしいわ。稲荷の境内でいつも遊んでやっていたな。小さな佐加江に手も足もでず」 「人は、先に死ぬではありませんか。あまりも短い生涯を私のようなものが貰い受けるにふさわしいとは思えませぬ」 「子は残る。人の生など、我々にとっては瞬きをする間のことでのう。一緒に老いる楽しみはないが、桐生はそれでも良いと嫁に来てくれた。看取(みと)る悲しみも人と交じる事が出来た喜びよ」 「ん……」  佐加江は、目を擦っていた。天狐が姿を消し、どうしたら良いか分からない青藍は下衣(したごろも)を直してやり、真顔で佐加江が起きるのをジッと見つめていた。
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