【4】百鬼夜行

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「海老は浩太君の好物だから使ったけど別に調理したし、他のものは佐加江が食べられるものだったのにな」 「……ごめんなさい」 「なぜ、佐加江が謝る。おじさんが悪かったよ、もっと注意していれば良かった。また、検査してみようか。他にもアレルギーが出てしまったのかもしれない」  部屋で点滴をされた佐加江は、しばらくすると呼吸が楽になり越乃に背中を向けていた。  (ふすま)一枚へだてた隣の部屋にいた浩太が居間へ行き、テレビをつける気配がする。  シチューで汚れた畳もシーツも自分で皿をこぼしてしまった、とわずかに感じ始めている恐怖心で浩太をかばった佐加江は、越乃に縋り付いた。 「おじさんもアルファなの? オメガの僕は、孕むだけの存在だと思ってる?」  佐加江の背中を摩っていた越乃の手が止まる。声が漏れ聞こえぬよう、小声で話す佐加江は明らかに怯えた顔をしていた。 「浩太君が言っていたのか」  まるで内緒話だった。 「中学生の時に本で読んだの。浩太さんは……、村長さんの甥っ子さんだし良い子だよ」 「そうか」  越乃が、少し安堵したようなため息をついた。 「佐加江は、特別な存在だと思ってる」 「……特別?」 「おじさんの宝物だよ」  降って湧いたような浩太によるひどい仕打ちと、今まで育ててくれた越乃に別れを告げようとしている事に、佐加江は涙した。  症状が治まり、空気を入れ替えようと佐加江は開けた窓から外を眺めていた。歩くのもしんどく、鬼治稲荷へ行くか迷う。が、保育園で履こうと購入した真新しい白いスニーカーが押入れにある事を思い出した佐加江は、靴紐をキュッと結んで窓から外へ飛び出した。  今夜は雲が多く、満天の星空が見えない。  佐加江が大きく息を吸い込んでいると腕を掴まれ、庭の植え込みへと何者かによって引きずり込まれた。 「や……っ」 「佐加江、私です」 「青藍!?」 「嫌な予感がして。佐加江に呼ばれたような気がして、こちらに顔を出したら何やら境内に邪気が漂っていて、佐加江のことで頭がいっぱいで、ここまで来てしまったのです。迷惑をかけるつもりも、来てはいけないと言う約束を破るつもりもなかったのですが家の周りをうろうろと、あの……」 「青藍、落ち着いて。僕の事で頭の中がいっぱいだったの?」 「当たり前です。いつもです」 「嬉しい」 「欲のまま動いたので、耳たぶがとても痛いです」  抱きついた青藍から、白檀のような品の良い香りがする。絆創膏を貼られた点滴跡に触れられると、なんだかとてもホッとして身体から力が抜けそうだった。 「今日はどうしましたか。何か、あったのですか」 「青藍に会えたから、もう平気」  越乃への恩返しと思えば、浩太のことなど大した事ではなかった。次の発情までなら耐えられる。 「青藍、送ってあげる」 「佐加江がですか」 「うん。あやかしのひとり歩きは危険だよ」 「本当ですか?!」  とは言え、この時間に出歩いている人など、村にはいない。みな、寝静まっている頃だろう。 「本当だよ。特に青藍のひとり歩きは……。今日は身体の傷跡の話を聞かせてくれる約束でしょ?」  いつの間にか月も隠れてしまい、湿気った風が頬を撫でる。 「ーーこの村の人々は、昔から鬼を毛嫌いしています。ひと昔前は人がいなくなるたび、人が不自然な死に方をするたび鬼の仕業として祠に(やいば)をむくのです。一緒に祀られている天狐様にその悪事を知らせる為だそうですが、その度に不思議と私の身体にも傷ができる」 「でも、青藍はしてないんでしょ」 「していません。誰しも誰かのせいにした方が楽でしょう。特に鬼宿日に村人は神事をーー」 「キシュクニチ?」 「暦の呼び方です。佐加江、この話は止めましょう」 「キシュクニチって何?」  あの日、青藍がそうしたように佐加江は小指と小指を絡める。少し甘えるような佐加江の仕草が、青藍は愛おしかった。 「私が絶対に、この村にいないことを村人は知っているのです」 「どっかに行くの?」 「幼馴染の蘇芳(すおう)と親父様方との酒盛りで、酔っぱらってしまうので出られなくなってしまうのです」  青藍の事だから酒を飲まされてしまうのだろう、と佐加江は鈴を転がすような声で笑っていた。 「ねえ、親父様方って?」 「閻魔様を始めとする雷神、風神……。そこら辺りはみな親父様です」 「ウソっ、地獄ってあるの?!」 「それは蘇芳の方ですね。私は命の灯火(ともしび)を預かっています」 「やばっ」  お伽噺(とぎばなし)かと思っていた世界がそこにはあった。  立っているのもやっとだった佐加江は青藍にもたれるようにして歩き、よく笑う。
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