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殴られ過ぎて、意識が朦朧としているのだろう。
「目が覚めたら、記憶は消えている」
もう一度耳元で囁くと、立ち上がり表通りへ出て、前を歩いている女性の肩に手を置いた。振り返る女性の目を見る。女性の目は一瞬輝き、すぐにトロンとなった。
「この建物の裏に怪我人がいる。救急車を呼んでほしい」
「わかったわ」
女がバッグから携帯を取り出し、耳へ当てるのを確認して屋敷へ戻った。
新鮮な血を三人分も飲んでかなり満腹だ。害虫のような連中を食物にするのはある意味痛快だった。大都会はいい。餌に困らない。
しかし、いつもならスルーする場面だった。基本的に獲物は一匹でいるところを襲う。想定外のことが起こる場合も考え、念には念を入れ、獲物を選ぶのだ。
今日は、かなり突発的だった。弱い者を力でねじ伏せ、自分に酔っている豚どもだったから、簡単に済んだが……。
ふわふわとした柔らかな髪。クッキリした二重。長いまつ毛に縁どられた深いアンバー色の瞳。
「……似てた……」
気のせいだろうと思った。気の遠くなるほど、待った。しかし、途中から諦めた。アレは子供だましな術だった。俺的にはかなり真剣だったのだが……弟が復活することはなかった。
それでも諦めきれず、こうやって弟のことを考えているから、そう感じたのかもしれない。
ソファに座り、古い映画を観ながら考えた。
もう諦めているのなら、俺の生きている意味は?
この広大な屋敷も、昼間でもあまり日の入らぬ快適な部屋も、夜のプールも、全て意味がない。ただの伽藍堂だ。
気がついたら映画は終わっていた。もうすぐ朝が来る。
夏の朝は早い。四時過ぎくらいからうっすらと空が明るくなってしまう。
居間の明かりを落とし、寝室へ入る。申しわけ程度にある細長い窓を吊るしてある遮光カーテンで完全に覆う。今はひんやりとしている快適な部屋も日中は多少暑くなる。ベッドのサイドボードにあるリモコンでエアコンを作動させた。
設定温度は……二十度でいいだろう。
冷えた部屋は心地いい。ベッドへ潜り込み、目を閉じる。
まぶたに浮かんだのは、寂しそうに俺を見上げる、二つの深いアンバー色の瞳だった。
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