第2章 鞠子

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第2章 鞠子

   ナースステーションの前を急ぎ足で通り過ぎると、担当看護師の新井さんに声をかけられた。 「今日はシャンプーしたの。鞠子さん気持ちよさそうでしたよ。」 「ありがとうございます」 「あ、少しぐらい時間過ぎてもいいわよ。黙っておくから」  明良は頭を下げ、急いで病室に向かった。  鞠子は眠っていた。 「鞠子、遅くなってごめん、来たよ」  返事はない。  部屋はシンと静まりかえり、設置されている機器が立てるモーター音が微かに聞こえるだけだ。  鞠子は起きない。  そばの椅子に座り、今日洗ってもらったという長い髪を撫でると、ほのかに甘い香りが漂った。 「気持ちよかったかい?一週間ぶりだもんな。」  二人部屋だが、今は鞠子だけがいる。隣の無人ベッドが寒々として無駄に広い病室に、明良の声だけが響いた。  鞠子が答えることはない。  鞠子は、一年前から目覚めることなく眠り続けている。  落石事故だった。  旅行が趣味だった二人は、一年前、紅葉を見るために軽井沢に出かけた。  車を止め、沢に降りて下から景色を見ようと歩き出した時、突然道路脇の崖が一気に崩れ落ちたのだ。  紅葉を見上げていた鞠子が異変に気づき、前を歩く明良を突き飛ばした。     
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