鬼の子

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鬼の子

 春の花が咲き誇り、小鳥が囀りを交わしていた。  衣音は、玻璃王の屋敷に居た。纏う着物は相変わらず女物だったが、僅かに膨らむ腹を締め付けることのないこの格好が一番合っていた。 「衣音、行ってくる」  玻璃王は、狩衣姿で衣音の前に現れると、なにか思い出したようにそっと傍らに腰を下ろした。 「?」  訝しむ衣音の臍の辺りに、玻璃王は耳を寄せた。 「…玻璃王、ややこは、まだ、動かないよ」  ぷっと吹き出した衣音の顔を、玻璃王は気まず気に見た。  美しく切れ長の瞳は、真剣にその気配を伺っている。 「昨日よりも膨らんでいるのではないか?」 「気のせいだよ。気が早い」 「そうか」  耳を当てたままの玻璃王の白い髪を撫でて、衣音は笑った。 「今日は、どこへ?」 「牙迅王の館あとだ。新たな鬼が棲まうかもしれない。狩音の結界を広めてくる」 「そう、気をつけてね」 「ああ」  その後姿を、衣音は小さくなるまで見送った。やがて、見えなくなった頃、一つ、ため息を吐いた。  牙迅王が死に、都に入り込む鬼の数は激減した。  穏やかな日々が過ぎ、玻璃王との暮らしも大分慣れた。が、気になることが一つ残っていた。  衣音は、子を胎内に宿していた。  本来ならば、まだ気付くこともない月齢だが、腹の子は人間の子とは明らかに違う速さで成長していた。  まだ胎動は無いと言い張ってはいたが、実のところ衣音は気付いていた。  それが神通力を持ったとはいえ元来人間である玻璃王との子なのか、鬼である牙迅王との子なのか、確かめなくともそれは明らかだった。  だが、拒んでもおかしくない玻璃王は、問いを投げれば産めと言ってきた。  理由は、聞いていない。衣音は大人しく、頷いただけだった。  ふと、春風が薄紅色の花びらを運んできた。衣音は、それを指先に取ろうと、手を伸ばした。  が、体が動かなかった。 「…え…?」  金縛りに遭ったように、体が動かなくなっていた。息も、気づけば出来ない。 「…っ」  見れば、床に、白く陣が浮かび上がっていた。それは始めて玻璃王に出会ったときにかけられた術にそっくりだった。  なぜ。  誰が。  見動くことが出来ない。背後に、誰かの気配があった。 「蒼真よ、腹の子に障らぬか?」  聞き慣れた声が、耳に届いた。 「一時、動けぬだけです。ですが、少しだけ解きましょう」  続けて聞こえたのは、蒼真の声だった。  直後、体を縛っていた術が解れていくのがわかった。  床の上に投げだされたように、衣音は転がった。とっさに腹を抱え、猫が転ぶように丸くなった。 「久しいな。腹の子は健やかか、衣音」  衣音の顔を覗き込むようにして現れたのは、父、六間狩音だった。 「ち、父上…?」 「衣音」  その背後には、蒼真が居た。手元に、印を結び、衣音に術をかけているのは蒼真だった。続けて、兄弟子たちがそれぞれに印を結んでいる。 「な、なぜ…俺に術を…」 「すまない。衣音。だが、すぐ済む。痛みもない」  狩音の言葉に、衣音は察した。 「い、いやだ、父上…俺は…、この子を…」 「衣音、目を瞑っていなさい」 「いやだ!」  衣音が否を叫ぶと、胸元から浅葱色の鋭い光が差し込んだ。 「な…に!」  狩音が手を引き、驚きを上げる。  光とともに、体の自由が戻り、衣音はくるりと身を翻し、陣の中から、狩音の傍らから飛び退いた。  右の手を擦り、狩音が苦虫を潰したように呟く。  「玻璃王…あやつ…」 「玻璃王…?この光…」  浅葱色の光が、衣音の体を包んでいた。  胸元で何が光っているのか、懐に手を入れると、小さなものが手に触れた。  縫い付けられているそれを取り出せば、それは数珠のうちの一粒だった。 「これは…あのときの…」  玻璃王に千切られた、元は狩音が施した数珠の一つ。  手元に取り出した玉は、更に光を増し、新たに衣音の足元に浅葱色の陣を張った。  「玻璃王…小癪な真似を…」  狩音は額に青筋を立て、怒りを顕にする。  まるで鬼のようにも見えた。 「父上、俺は、この子を産みます」  衣音は、腹を守るように告げた。 「たとえ、それが牙迅王の子だとしても」  腹を覆った指は、震えていた。  本当に。  本当に、産み、育てられるのだろうか。   今は亡き、鬼の首領の子を。  狩音は、首を静かに振り、そして微笑んだ。 「…衣音、お前は、間違えている」 「違う、間違えてはいない…俺は…!」 「違う。その腹の子は、玻璃王の子だ」
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