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「あ、私も片付けるの手伝いますね」
「いや、お客さんにそんなことさせるのは……」
「いえいえ、泊めていただいてる身で罰があたります。どうぞ、そんなお客扱いなどなさらずに」
止める店主の言葉も遮り、私はポケットから取り出したハンケチで濡れた床を拭くフリをしながら、割れた杯をそれに包んでそっと懐へしまい込んだ。
ある一つの可能性に思い至ったのである……。
「そうだ、飯を食ったら風呂にでも入ってくだせえ。濡れた着物も乾かさなきゃいけませんし。洋服なんて洒落たもん着ている学者先生には申し訳ねえが、あっしの浴衣をお貸しいたしやしょう」
「ありがとうございます。お風呂ばかりか着替えまで貸していただけるとは大変助かります」
きのこ汁塗れの体ではさすがに気持ち悪かったので、夕食後、警戒しつつも亭主の勧めに従い、私は風呂へ入ることにした。
「どうぞ、ゆっくりお湯に浸かって、疲れと旅の垢を落としてくだせえ~! よく温ったまりゃあ、凝った体も柔らかくなりまさあ~!」
「ええ~! 何から何まで、どうもありがとうございま~す!」
釜炊きを終え、薄い木の壁一枚隔てて声を張り上げる外の亭主に、私も湯けむりに声を響かせながら、鼻歌でも唄うかのように礼を述べる。
もしや石川五右衛門よろしく釜茹でにされるんじゃないかとビクビクしていたが、どうやら取り越し苦労だったようである。
「ふぅ~……」
安全だとわかり、ずっと張りつめていたものが一気に緩んだ私は、心地よい湯の温かさに疲れた身を蕩けさせる。
こんな深い山の中で、まさか熱い風呂にまであずかれるとは夢にも思わなかった……その点はほんと感謝である。
もしかしたら、旦那の方に感じた悪い印象もただの勘違いだったのかもしれない……。
「お湯加減はいかがですか?」
そうして恩知らずな自分を少々反省しつつ、思わず無防備にまどろんでいたところへ、今度は脱衣所の方から奥方が、か細い声でそう訊いてくる。
「…っ! ……あ、は、はい! 大丈夫です! なんともいい心地ですよ!」
すっかり油断していた私は、慌てて湯舟の中で上体を起こすと冷静を装って返事を返す。
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