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「あの花はもうないと、そう言えればいいのだけれど……」
月下美人の強すぎる芳香は、もう自分にも染み付いてしまって誤魔化しようがない。
とりわけこの花の香りは別格だった。
一度嗅いだら忘れられない魅惑の香り。笹原もきっとそれに囚われてしまったのだろう。
店の裏手にある温室の扉を開くと、花の芳香を纏った空気が朔の体にふわりと絡みついて来た。
開花前ですらその香りは蕾から洩れ出していたのだが、この強い香りは……
ああ、とうとう咲いたのかと、朔は絶望に身が竦んだ。
「花純……」
妻へと声を掛けようとした朔は、思わず言葉を詰まらせた。
温室の真ん中には、いつものように椅子に腰掛ける彼の妻、花純がいる。
そんな花純の前に跪き、ただ呆然として彼女を見上げているのは――
「麻生教授。ようこそお越し下さいました」
そう呼ばれた人物は、徐に朔の方へとその虚ろな目を向けた。
「荻野くん……これは本当に、花純……なのか」
「そうですよ。あなたの愛しい一人娘です。今宵の彼女は、僕が今まで見た中でも一段と美しい」
月夜に仄白く浮かび上がるその姿は、ひとつの芸術作品のようだった。
花純の背からは、天使のような一対の翼が広がっている。
だが、その翼の正体は――
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