Adagio

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坂巻はほぼ無意識的に華美に視線を送り、箱を抱えたまま呆然と立ち尽くしていた有紗に、「それじゃ」と背中を向けた。 「さ、さかまきさんっ」有紗は慌てて呼び止めた。 「ん?」 「おうちに入ったサブレ、可愛くてすごく嬉しかったです。ありがとうございました」 「ああ」坂巻は照れたように笑いながら振り返った。 「こちらこそ、いつもありがとう」  いつもなら嬉しいはずの笑顔に、胸がぎゅっと苦しくなる。有紗は心の中で溜め息を落としながら、エレベーターに向かった。  たったあれだけの会話からでも、互いを信頼しあっていることが良くわかる。  最近はよく、勤務時間前にオフィスで話をしているようで、坂巻と華美の関係は女性社員の間で噂になっているが、やはりそういうことなのかもしれない。 (そういえば、坂巻さんも佐倉さんも、新井さんから声を掛けられて総務部に来た人たちだ)  二人は新井から選ばれた、仕事が出来て当然の、エリート社員なのだ。そこに入る隙などあるはずがない。 (せめて、わたしも何か坂巻さんの仕事のお手伝いができたら)  考えてはみたものの、専門的な技術も何も分からない。 PCやプリンターのエラーなど、些細なことで相談するのをやめるのが、今できる唯一のことなのかもしれなかったが、そうすると本当に坂巻との接点をなくしてしまう。  有紗エレベーターの中でしばし考え込んでしまった。
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