Adagio

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 採用者とのやり取りを振り返りながら、有紗はエレベーターに乗った。六階にある人事部入り口付近の自席に戻ると、デスクの中央に生成り色のボール紙で出来た、小さな家が置かれていた。 「……かわいい!」  頭の中の省察を遠くに飛ばして、有紗は甲高い声を上げた。 「あ、それね。坂巻エンタープライズから」  有紗の声に気が付いた宇美が、くすくす笑いながら椅子から腰を浮かせる。メタルフレームの眼鏡が良く似合う知的な雰囲気の美人が、就任四年目の人事部長、宇美晶(ウミアキラ)である。有紗の後ろに回りこみ、椅子の背もたれに手を乗せた。 「律儀だよなあ。綿貫が事あるごとにお菓子あげるのに、いちいちお返しくれるもんねえ。ちなみにそれ、中身なに?」  宇美もこの小さな家の中に何が入っているのか興味があるらしい。有紗は蓋になっている屋根の部分を開いた。箱の中には、数種類のサブレと一緒にショップカードが入っている。  どうやら本店は鎌倉にあるジャム専門店らしいが、支店ではサブレを中心に扱っているらしい。あとで調べてみよう。有紗はショップカードをペンスタンドに立てかけるようにして置いた。 「一つちょうだいよ」  返事を聞く前から、宇美が一枚取った。パッケージフィルムをビリビリ破いて、サブレに歯を立てる。
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