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目覚めの一杯を淹れた。仕事ならミルクティー、休日ならカフェオレにするのは、ON/OFFのスイッチみたいなもの。
5枚切のトーストにバナナとハチミツを乗せるのが定番。冷蔵庫の状況に応じて、バターとイチゴジャムや、ハムチーズになったりする。
カフェオレを飲みながら、ゆっくりと朝食を取る耳に、メロディーに乗せたラジオDJの声を捉えた。
「あなたの夢は何ですか」
手早く食器を洗ってから身支度を整える。鏡がついた洗面所で、顔を洗ったスッピンの顔が映った。
「わたしの夢は“普通の暮らし”です」
キッチンの流し台ではなく洗面所で歯を磨けて、大きな鏡の前でドライヤーも使えること。トイレは汲み取り式じゃなく水洗でハエやハチがいないこと。風呂は共有ではなく、シャワー付きで毎日入れること。トイレも風呂も家の中にあって、雨や風、湯冷めの心配もいらないこと。
夢を連想して幼い頃の極貧生活を思い出してしまった。他人から見たら日常のことかもしれない普通が夢だった。どんなドラマや映画、マンガや小説よりも、ずっと厳しかった現実を過ごしたと思う。
憧れていた夢を実現させたというより、独り立ちをして生活のために働いているだけ。それでも不確かで不明瞭な希望を、具体的に目標として掲げることが、夢の叶え方なのかもしれない。
「はぁ~、人には言えないよ」
ふいに背中から抱き寄せた反動で、軽いキスをしながらぬくもりをくれたのは、お泊まりをした彼氏だ。
「僕にも?」
「ふふっ。小さな頃を思い出したの」
「そっか。バスタオル借りるぞ」
「うん」
やがてシャワーを浴びて、すっきりとした表情でソファーに座った彼氏へ珈琲を淹れた。
「思い描いていた夢を叶えた今のきみの夢って何だい」
「今?安定した老後かな」
グッと珈琲を飲み干した彼氏は、強い眼差しでわたしを見つめた。
「老後の前に、色々あると思うんだけどな。僕の夢って知ってる?」
「あなたの夢?」
「うん。僕の夢はさ、きみしか叶えられないんだ。聞いてくれる?」
「旅行とか?」
口を尖らせて首を横に振った。
「きみと毎朝こうして珈琲を飲むことなんだ。結婚しよう」
そういえば、結婚はおろか彼氏もできないって思っていた。夢の途中で満足してはいけない。これからはふたりで夢をたくさん叶えていこう。
【完】
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