第五章  挑戦状

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 男を誘惑するなんて冗談じゃないのだが、確かにここでくらい役に立って見せないと、もう俺の参加自体が厳しいという気がする。俺はひそひそと言った。 「……しかし俺なんかに誘惑されてくれるのかい……」 「大丈夫ですよ、聞いたところあまり相手を選ばないって人らしいですから。紅顔の美少年とはいきませんが、まああんたも面は悪くないですし」  豆腐屋は軽く請け合った。全然うれしくない。  大八車で奇行倶楽部に送り届けられた俺は、店内に入った。俺は一同を目で探す。『その色気のない眼鏡は外すんですね』と豆腐屋に眼鏡を外されたので、視界はぼんやりしている。豆腐屋はそれから、俺をためつすがめつ眺めた。残念そうに言う。 「ああ、くちびるがカサカサですねぇ……」 「熱が出てるんだから、仕方ないだろ」  話していると夜草(やそう)が足早にやってきて、俺のくちびるにぐいとうすい紅をさした。 「ちょっと、何……!」 「差し上げます」  口紅が俺の手のひらに落っこってきた。いらないよ!!  七花さんは入り口近くの席にいた。すぐにこちらに気がついてうなずき、目顔で問題の信者をさす。  そちらへ向かっていく途中、通りすがりに七花さんが囁いた。 「少年教祖の居場所をたずねてください」  俺はうなずいて、奥のテーブルで一人酒を飲んでいる男に近づく。年は30代前半といったところ、鍛え上げた体にはぴったりとした白いシャツをまとい、首元にはよく目立つ赤いスカーフ、磨き上げた革靴に、足首が見える丈の糊のきいたズボンをはいていた。日頃の生活圏ではあまり見ないような人物である。  俺は煙草を手にして近寄った。  そらおそろしくはあるが、もう肝を据えることにする。 「火を貸してくれますか?」  話しかける口実だということは誰にでもわかるはずだ。何しろ灰皿と燐寸(マッチ)ならどこのテーブルにでも置いてある。  いくらかぎごちなく微笑んで顔を覗き込んでみると、新聞から顔を上げた男は俺をじっと眺める。すぐに燐寸をすってくれるので、俺は顔を近付けて火をつけてもらった。  隣に座りこんで、緊張をごまかそうとするように深く煙を吸い込むと、赤スカーフの男はじろじろと俺を眺め廻して言う。 「見ない顔だね」
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