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俺は硬くなって言った。
「ここへは入ったばかりです。この間小さな神輿を見かけたんですが、貴方はそこで担ぎ手をやってた。それに……こちらのいくらか特殊な倶楽部にも、いたでしょう?」
「ああ、いた。俺のことを見ていたのかい?」
ニヤつかれて、ヘンな汗が出てきた。
「ええ」
何かそれらしい褒め言葉を続けるべきなのだろうが、口説き文句なんてとても言えない。言葉に困って、モナリザのごとくひたすらほほえんでいたら、彼はテーブルの下で俺の左手を握った。
「僕ら、気が合いそうだ」
うおぉ。へんな汗が出てきた。俺は固まった顔で微笑み返したが、おびえたように見えなかったとしたら、俺の演技力はたいしたものである。男は囁いた。
「あまりしゃべらないんだな」
「話すのは苦手で……」
ぎごちなく言って俯いたが、かっとほほが熱くなった。話すどころではない。必死である。
男はそんな俺を見て余裕げな微笑をうかべると、何か頼んでくると言ってカウンターに消えた。男の背中を見送って俺はテーブルにつっぷすが、その時ちらっと送った視線で、七花さんが気が気でない顔ではらはらと手を揉み絞っているのをかいま見る。我ながら情けないがややなごんだ。しかし、その隣の夜草が肩を震わせて笑い死んでいるのにも気付いてしまう。
(ゆるさん……)
人ごとだと思って、と俺はつっぷしたまま背中に殺気をみなぎらせる。しかしすぐに男が戻って来たので、ばっと顔を上げる。
こんな恥を晒したからには、絶対に情報をつかんでやる、そう心に決めて笑顔を作る。
目の前にグラスが置かれた。
「これでいいかい」
「ありがとう。ところであの神輿を担いでおられたのは、頼まれたんですか。……衣装、と、とてもお似合いでした」
いいやと赤スカーフの男は頭を振った。俺の褒め言葉に一転はれやかな顔になると、胸を張る。
「買って出たのさ。光栄だろ」
ええ、と俺は言いながら、彼をだましているのは悪い気がしてきた。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
彼は少年教祖の噂を新聞で知って仕事も家族も捨て、他県からわざわざ京都まで越してきたそうだ。俺は筋がね入りの信者なのだ、と誇らしげに自分で話した。俺はうなずく。
「あんな美しい神様は他にいないですね。ただ、氷の中で凍えておられるように見えましたが……」
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